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田川基二 : ミニ英和和英辞書
田川基二[たがわ もとじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 
: [に]
  1. (num) two 

田川基二 : ウィキペディア日本語版
田川基二[たがわ もとじ]
田川 基二(たがわ もとじ、1908年4月11日〔北村四郎(1978)「田川基二さんを偲ぶ」植物分類・地理 29(1〜5), pp.10-14〕 - 1977年7月19日岩槻邦男(1978)「田川基二先生」植物分類・地理 29(1〜5), pp.2-10〕)は、日本植物学者シダ植物分類学的な研究で知られる。
== 概要 ==
1908年大阪府大阪市で、3人兄妹の次男として生まれた〔。兄は陶芸家田川基一、弟は独文学者田川基三〔。
1930年に京都帝国大学(現:京都大学理学部に入学、植物学教室で小泉源一に師事した。同時期には大井次三郎北村四郎も在籍していた。1933年に同大学を卒業し、大学院に進学、本格的にシダの研究を始めた〔。
1939年に理学部副手を嘱託されたため、大学院を退学、1942年に理学部講師となる。1953年に助教授、1970年に教授へと昇進し、研究、教育活動を行った。1972年に定年退職、京都大学名誉教授となった〔。
第二次世界大戦が終結した後、研究を取り巻く環境が悪い時期が続いたが、情勢が落ち着いた1950年代後半に入ってからは、主に九州以南の南方地域でシダ植物の調査を行っていた。しかし1965年にはじまったタイマレーシアでの調査中、乗っていた車が横転。そのときは軽症で済んだが、次第に体調が悪化し、のちに心臓の僧帽弁閉鎖不全が発見された〔。その後健康状態が思わしくならず、それ以降フィールドワークに戻ることは出来なかった。
1977年、急性心不全で死去〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田川基二」の詳細全文を読む




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