|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 律 : [りつ] (n) commandments
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日- )は音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。1960年代末に東京に移り、「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加〔略歴 ヒューマンドキュメンタリー映画祭サイト内〕。音楽評論、海外ミュージシャンの評伝の翻訳、料理本など著書多数。近年は、伊勢真一監督のドキュメンタリー映画「ゆめみたか〜愛は歌 田川律〜」に出演〔「ゆめみたか〜愛は歌 田川律〜」公式サイト 〕。 ギタリストの岡田信一とのユニット、「りつ・おかだ」を結成して歌手としても活動〔日外アソシエーツ現代人物情報〕。2015年、80歳でアルバム「ラスト・レコーディングvol.1」をリリース〔日外アソシエーツ現代人物情報〕。 ハードボイルド等のミステリ小説も愛好しており、ハヤカワポケットミステリの訳本が一冊、またロバート・B・パーカー『ゴッドウルフの行方』、ロス・トーマス『女刑事の死』『八番目の小人』の文庫解説を執筆するなどしている。 == 経歴 == 1960年、大阪大学文学部国史学科卒業〔『マイケル・ジャクソン 孤独なピーター・パン』(2009年)訳者紹介〕。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう〔「中村とうようと『ニューミュージック・マガジン』」- 篠原 章 〕、飯塚晃東と知り合う。 1968年東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。 1971年、URC時代の岡林信康のサードアルバム『俺らいちぬけた』〔解説ページ ディスクユニオンサイト〕のレコーディングディレクター。この頃、劇団黒テント、大阪の「春一番コンサート」で料理人として活躍。 1974年、『おんがくぐーん音楽の学校・音楽の劇場』(ほるぷ出版)のB面の林光作品集のレコーディングディレクター。 1979年から、朝日新聞の芸能欄に執筆。 2001年、劇団黒テント俳優養成講座に講師として参加。 2008年、伊勢真一監督のドキュメンタリー映画「ゆめみたか〜愛は歌 田川律〜」に出演。共演は、大塚まさじ、高橋悠治、斎藤晴彦、ハンバート ハンバート、中川五郎、福岡風太、阿部登他。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田川律」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|