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田村 セツコ(たむら せつこ、1938年2月4日 - )は、日本のイラストレーター、エッセイスト。 1950年代後半よりイラストレーターとして仕事を始め、1960年代には「りぼん」「なかよし」などで少女向けのおしゃれページを多数手がける。1970年代にはキャラクターグッズが人気を博し、また、『若草物語』や『赤毛のアン』などの名作物語のイラストも手がける。サンリオ発行の「いちご新聞」〔かつては同社の「月刊いちごえほん」にも寄稿していた。〕の連載エッセイは創刊の1975年から現在も続いている〔『少女時代によろしく』〕〔『田村セツコ HAPPYをつむぐイラストレーター』〕。 ==略歴== ;1938年 :東京都目黒区で、長女として生まれる。(妹2人、弟1人の4人きょうだい) 〔 ;1953年 :東京都立八潮高等学校入学。美術部に入部。 ;1956年 :松本かつぢに送った往復葉書が縁で弟子入り〔和光大学 ">町田市ゆかりの美術家たち 田村セツコ - 和光大学 〕。高校卒業後安田信託銀行に入社するも、月に一度は松本かつぢ宅に通い指導を受ける。 :8月、松本かつぢの紹介で「女学生の友」の読書投稿欄(銀の泉)にカットを描き、デビュー。 ;1957年 :5月、安田信託銀行退社〔「現代日本人名録 94」(日外アソシエーツ)〕。 ;1958年 :「少女クラブ」の小説挿絵を急病の画家の代わりに描き、以降挿絵の依頼が増える。 ;1960年 :「りぼん」におしゃれページ(「こんにちはおじょうさん」)を連載開始。 ;1963年 :初装幀本『あしながおじさん』刊行。 ;1965年 :「なかよし」におしゃれページ(「ボンジュールおじょうさん」)を連載開始。 ;1967年 :「小説ジュニア」(集英社)、「ジュニア文芸」(小学館)のユーモア小説向け挿絵、おしゃれページを多数手がける。 ;1969年 :このころより、イラストを用いたグッズの販売が増加(以降、コクヨ、リリック、サンリオ、セイカノート、トンボ、クツワなど十数社より発売)。これらは、セツコグッズとも呼ばれた。 ;1971年 :ギフト・ブックと呼ばれる詩画集『愛の花束』(サンリオ山梨シルクセンター出版部)刊行。(のち『幸福の花束』『風の花束』も刊行) ;1975年 :「いちご新聞」(サンリオ)創刊。イラストエッセイを連載。(現在も連載中) ;1979年 :ハウス食品の春のデザートキャンペーンに「HAPPYおばさん」が採用される。 ;1982年 :『おちゃめなふたご』シリーズ(ポプラ社)刊行。(装幀・挿絵を担当) :以降、ポプラ社の名作絵本シリーズの装幀・挿絵を多数手がける。 ;1992年 :個展開催。(以降、個展はほぼ毎年開催) ;2003年 :「田村セツコ&水森亜土展」(弥生美術館)開催 〔『田村セツコ&水森亜土展』 弥生美術館、2003年 〕 ;2012年 :「田村セツコ展」(弥生美術館)開催〔根津・弥生美術館で「田村セツコ展」-原画や希少グッズなど400点 - 上野経済新聞、2012年10月5日 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村セツコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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