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田村 三夫(たむら みつお、1932年6月20日 - )は、東京都中央区出身の元レーシングライダー、元レーシングドライバー。 戦後間もない時期からオートレースなどの2輪レースで活躍。1960年代に4輪レースに転向し、トヨタ、日産という2大メーカーのワークスチームで活躍した。 ==2輪時代== 東京都中央区勝ちどきで生まれ育った。父親は三越デパートの店員だったという。 1947年に高校を中退し、東京・神田(現在の中央区東神田付近)にあった機輪内燃機工業〔新明和工業(ポインター)の東日本総代理店。'50年代の一時期には「キリン号」という自社ブランドの2輪車(ポインターのエンジンを使用)を製造販売していた。〕という自動車商に就職。修理などに従事する。 1949年、多摩川スピードウェイ(神奈川県川崎市の多摩川河川敷に存在したダートオーバル)で開催された「第1回全日本モーターサイクル選手権レース」に17歳の若さで出場(新明和工業ポインター)。これがデビューレースだったが、2位に入賞。 1950年にオートレースが正式に発足・開催されるのと同時に、最年少の18歳でプロ登録。若手強豪選手として活躍する。〔ただし身分は機輪内燃機工業の社員のままであり、賞金などは社長に吸い上げられていたという。〕 1954年ごろに機輪内燃機工業をやめ、オートレース選手として独立。 1955年の第1回浅間高原レース(浅間火山レース)のライトウェイト(250cc)クラスにポインターで出場し3位など、オートレース以外の2輪レースにも出場していた。 1958年、八百長に関与していたとしてオートレースのライセンスを剥奪される。〔上の立場の選手の命令を断り切れなかったという。〕 オートレースを去った後、「勝鬨モータース」という自動車商を設立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村三夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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