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田村丸 : ミニ英和和英辞書
田村丸[たむらまる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 

田村丸 : ウィキペディア日本語版
田村丸[たむらまる]

田村丸 (たむらまる) は、日本鉄道青函航路向けに1906年(明治39年)10月、イギリススコットランド、ウィリアム・デニー・アンド・ブラザーズ社に発注し、1908年(明治41年)に竣工した2隻の貨客船の第2船である。
帝国鉄道庁→内閣鉄道院→鉄道省青函連絡船および稚泊連絡船として運航した。
着工前の1906年(明治39年)11月1日に鉄道国有法が施行されたため、帝国鉄道庁がこの建造契約を継承した。姉妹船の比羅夫丸は日本初の蒸気タービン船で、本船は2番目であった。船名は当時の日本鉄道の社長曾我祐準の「歴史的人物の名前より」との方針で坂上田村麻呂よりとられた。
==建造までの経緯==
1891年(明治24年)9月1日日本鉄道によって上野青森間が全通し、翌1892年(明治25年)8月1日には北海道炭礦鉄道によって岩見沢室蘭間が開通するにおよび、当時青函航路を運航していた日本郵船1893年(明治26年)2月、青函航路の延長として、函館-室蘭間航路を開設した〔青函連絡船栄光の航跡p13 北海道旅客鉄道株式会社1988〕。ここに東京-札幌間は、この“三港連絡航路”を介して鉄道で結ばれ、事実上この航路は“鉄道連絡船”となり、輸送量は急増した。
更に1904年(明治37年)10月15日には北海道鉄道によって小樽函館間が開通し〔小樽南小樽間が開通して北海道炭礦鉄道と繋がったのは1905年(明治38年)8月1日:北海道鉄道百年史(上巻)p222 国鉄北海道総局1976〕、輸送量は一段と増加した。
しかし日本郵船による青函航路の運航体制はこれに十分対応できず、客貨共に積み残しがしばしば発生したため、日本鉄道は1902年(明治35年)頃から、青函航路直営化の検討を始め、1905年(明治38年)には、今後20年間は他の追従を許さない1100~1500総トン、航海速力15ノット以上の高速船の建造を決定した。
しかし、この程度の大きで15ノット以上となると、従来の蒸気レシプロ機関では機関室が過大となるため、既にイギリスの海峡渡船で実績を上げていた蒸気タービンを採用することとした〔青函連絡船栄光の航跡p16 北海道旅客鉄道株式会社1988〕〔鉄道技術発達史 第6篇(船舶)p18 日本国有鉄道1958〕。
こうして、日本鉄道は1906年(明治39年)10月、イギリススコットランドの、ウィリアム・デニー・アンド・ブラザーズ社に、横浜引き渡し、速力18ノット以上という条件で、2隻の1500総トン級の海峡渡船を発注した。その直後の11月1日に鉄道国有法が施行され日本鉄道は国有化され、帝国鉄道庁がこの建造契約を継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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