|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 宗 : [そう, しゅう] 【名詞】 1. sect ・ 良 : [りょう] 【名詞】 1. good
田村 宗良(たむら むねよし)は、江戸時代前期の外様大名。陸奥岩沼藩の初代藩主。 == 生涯 == 寛永14年(1637年)4月19日、陸奥仙台藩の第2代藩主・伊達忠宗の三男として生まれる〔大島『シリーズ藩物語 一関藩』、P13〕。伊達政宗の孫に当たる。寛永16年(1639年)、父の命令で1,500石の仙台藩の重臣・鈴木元信の家系である鈴木氏の名跡を継ぎ、志田郡大崎を治めた〔。慶安2年(1649年)に元服して鈴木宗良と名乗る。 承応2年(1653年)、政宗の正室で忠宗の生母である田村氏出身の愛姫の遺言により田村家を再興し、栗原郡岩ヶ崎に1万石を与えられる。万治3年(1660年)に仙台藩主に幼少の伊達綱村が就くと、綱村より2万石加増され、同年12月に従五位下、右京亮に叙任された。また、伊達宗勝と共に綱村の後見となった。寛文2年(1662年)、名取郡岩沼に転封され、内分分家大名として岩沼藩の初代藩主となった。和歌や書をなし、人柄は温和であり人望を集めると同時に気弱な一面もあり、才気活発な宗勝による専横を許すことになった。寛文10年(1670年)に隠岐守に叙任される。 寛文11年(1671年)、伊達騒動(寛文事件)に際して指導的役割を果たすことが出来ず、幕命によって連座処分により閉門に処された。寛文12年(1672年)に罪を許され、延宝6年(1678年)3月26日に江戸で死去した。享年42。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村宗良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|