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田村寿二郎 : ミニ英和和英辞書
田村寿二郎[たむら としじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
寿 : [ことぶき]
 【名詞】 1. congratulations! 2. long life! 
: [に]
  1. (num) two 

田村寿二郎 : ウィキペディア日本語版
田村寿二郎[たむら としじろう]
田村寿二郎(たむら としじろう、1878年(明治11年)- 1924年(大正13年)7月24日)は、田村将軍と呼ばれた興行師田村成義の次男で、市村座の経営者。世間は成義を「大田村」、寿二郎を「小田村」と呼んだ。『車前子』を号した。(『車前子』はオオバコ。その紋所を好んだ。)
== 生涯 ==
慶應義塾卒業後、父成義が東京毎日新聞にいた杉贋阿弥に頼んで、同社の配達部に採用されたが、脚気を病んでやめ、次の時事新報の記者も長続きしなかった。
成義のきつい目を逃れてアメリカへ渡り、サンフランシスコで3年、ニューヨークで5年足らず自活し、29歳の1907年暮に帰国した。
年下の岡村柿紅吉井勇久保田万太郎らと付き合った後、1911年(明治44年)暮、成義の市村座の名義人となり、興行師の道に入った。六代目尾上菊五郎初代中村吉右衛門は、1908年に市村座入りしており、七代目坂東三津五郎十三代目守田勘彌六代目坂東彦三郎もいた。
大正時代には菊五郎・吉右衛門が競い合い、市村座の全盛期を迎えた(『菊吉時代』)。1915年に岡村柿紅を助言者に招いた。1918年に勘弥が去った。
1920年(大正9年)3月、市村座を株式会社とし、専務取締役になった。その11月、父成義が没して代表者となった。温厚な紳士と評され、松竹大谷竹次郎帝国劇場の山本久三郎・市村座の田村寿二郎が、東京の劇界の三頭目と言われるようになった。
1920年に彦三郎が、1921年には三津五郎と吉右衛門が、市村座を去った。
1923年9月、市村座は関東大震災で焼亡した。翌1924年5月にバラックの劇場を建てたが、高利の負債を抱え、直後の7月に没した。享年47。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田村寿二郎」の詳細全文を読む




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