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田村庄司の乱 : ミニ英和和英辞書
田村庄司の乱[たむらしょうじのらん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
村庄 : [そんしょう]
 【名詞】 1. village 2. countryside 3. country house

田村庄司の乱 : ウィキペディア日本語版
田村庄司の乱[たむらしょうじのらん]
田村庄司の乱(たむらしょうじのらん)とは、応永2年(1395年)から3年(1396年)にかけて、陸奥国安積郡(後世の磐城国田村郡)の田村則義清包父子一族によって起こされた鎌倉府に対する反乱。通説では、小山若犬丸と連携して起こされた「小山氏の乱」の一環とみなされている。
== 前史 ==
田村氏平安時代征夷大将軍に任命されて蝦夷討伐で活躍した坂上田村麻呂を祖とし、その子孫が代々田村荘を中心とした田村地方を領してきたとされる。その後この坂上氏系田村氏は奥州藤原氏に従属したと推定されているものの、奥州藤原氏の滅亡(奥州合戦)後の動向は不明であり、没落したと見られる。これにより権力の空白が生じた鎌倉時代の田村地方には田村荘の庄司となった藤原氏系とされる「田村庄司氏」と、後に三春城を築き戦国大名化した平氏系とされる「三春田村氏」が並び立つこととなった。彼らは共に田村氏を名乗り、坂上氏の後裔を称していることから、田村地方に進出後土着の過程で残存していた坂上氏系田村氏の勢力と結びついたものと思われる。
鎌倉幕府崩壊後成立した建武政権は南の白河地方を治める白河結城氏に田村地方の検断職を認め、田村庄司氏と三春田村氏はその傘下に入った。ところが、南北朝の争いの本格化によって田村庄司氏は南朝方、三春田村氏は北朝方に分かれ、白河結城氏も当初は南朝方であったものが後に北朝型に転じた。また、室町幕府によって畠山氏斯波氏などが派遣されるなど、奥羽各地で激しい戦いが繰り広げられ、田村庄司氏の本拠であった宇津峰城貞和3年/正平2年(1347年)と文和2年/正平8年(1353年)の2度にわたって北朝方によって攻め落とされている。この際、巧みに立ち回ったのは白河結城氏で北朝投降時に一時失った田村荘の検断職を足利尊氏から再度保証されただけでなく、田村荘の一部を恩賞として与えられて田村庄司氏は勿論、三春田村氏に対しても優位な立場に立てるようになった。
明徳3年(1392年)、陸奥国・出羽国の管轄がこれまでの奥州管領から鎌倉府に移管された。伊達氏蘆名氏と並ぶ奥羽の有力武家となった白河結城氏は、室町幕府中央、元奥州管領の斯波氏、鎌倉府の3者との複雑なバランスの中で自己の勢力の拡大を図り、田村庄司氏や三春田村氏はその圧力を真っ先に受けることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田村庄司の乱」の詳細全文を読む




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