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田村 政雄(たむら まさお、1953年5月3日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 県立和歌山商ではの夏の甲子園和歌山県予選の準々決勝で市立和歌山商に敗れ、甲子園出場はならなかった。卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは3度のリーグ優勝に貢献。の全日本大学野球選手権大会では、決勝で愛知学院大を3-0で降し優勝。の明治神宮野球大会でも、決勝で江川卓を擁する法大と対決し1-0で完封、優勝している。また1973年から3年連続で日米大学野球選手権代表に選出された。大学同期に福田功、行沢久隆がいる。 リーグ通算82試合登板、39勝33敗、防御率2.35、359奪三振。最高殊勲選手2回、最優秀投手2回、ベストナイン2回。39勝は芝池博明の41勝に次ぎ、松沼雅之の39勝と並ぶリーグ2位タイ。2年生春から4年生春にかけてリーグ記録の45試合連続チームの試合に登板した。地を這うようなアンダースローからキレのいいシュートやカーブを投げ、ドラフトの目玉として大いに注目された。体が大変柔軟であるという投手の資質に恵まれ、粘っこいピッチングをする。打者側から見れば球離れが他の投手と比較して遅いので、タイミングを合わせにくい投手でもあった。武器はストレート、カーブ、シュート、決め球はシンカー。 のドラフト1位で大洋ホエールズに入団。大学時代の活躍から新人王候補と期待され、本人も「自分でないなら田尾安志」と公言してはばからなかったが、プロ入り後は伸び悩む。新人王は田尾が受賞した。「東都大学野球80周年史」で、元中央監督の宮井勝成は、自身がかかわった最高の投手であったと述べたうえで「酒が…」と残念がっている。ルーキー年キャンプ時に二日酔いで目覚めた写真を撮影されたこともある。 オフに佐藤道郎との交換トレードで、伊藤勲と共に南海ホークスに移籍。は一軍登板は無く、同年限りで現役引退。 引退後は実家の酒屋を継ぎ、その後コンビニエンスストアにしたが、現在は閉店している。元プロ野球選手の田村領平は息子。 2011年の1シーズン、四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスの投手コーチを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村政雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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