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田村 村資(たむら むらすけ)は、江戸時代中期の大名。一関藩第5代藩主。仙台藩第11代藩主・伊達斉義の実父。 == 生涯 == 宝暦13年(1763年)1月3日、仙台藩一門第五席・登米伊達氏第9代当主・伊達村良の長男として仙台に生まれる。幼名は保之助。 安永7年(1778年)、跡取りのいなかった伯父の一関藩主・田村村隆の養嗣子に迎えられることになり、4月21日に元服して仙台藩主・伊達重村から偏諱を拝領して村資と名乗り、重村の猶子となりって7月24日に一関藩に入嗣する。 天明2年(1782年)3月29日、村隆の死去にともない家督を相続して第5代藩主となる。翌天明3年(1783年)に一関に入部すると、関元龍らの願いを容れて、藩校・一関学館(のちの教成館)を創設する。寛政8年(1796年)、仙台藩主・伊達斉村が急死し、子の政千代(周宗)が跡を継ぐと、重村正室の観心院や土井利謙らと協議し、堀田正敦を後見人に立てる。 治世中は洪水多発や幕府勤役による負担増に悩まされ、寛政9年(1797年)に仙台藩内で発生した大規模な一揆(寛政の大一揆)が一関藩領にも波及すると、一関城下への進入を阻止するために一揆勢の要求を大幅に受け入れた。 寛政10年(1798年)に家督を婿養子の宗顕に譲って隠居する。 文化5年(1808年)10月27日死去。享年46。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村村資」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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