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田村 隆信(たむら たかのぶ、1978年3月15日 - )は、日本の競艇選手。徳島支部所属、登録番号4028。徳島県出身。徳島県立阿南工業高等学校卒。 ==来歴== 小さな頃より図工やプラモデル作りが好きで、中学生の時には機械系の仕事に就きたいと思っていた。高校卒業後、約2年間建設器機の修理の仕事をしていたが、当時付き合っていた彼女の父親に「競艇選手になれよ」と勧められ、一緒に見に行った丸亀競艇場・総理大臣杯で優勝戦を制した西島義則の姿を見て競艇選手に憧れを持ち、深く考えずに受験したところ合格。本栖研修所に入所する10日前に付き合っていた彼女と入籍。本栖ではずば抜けたセンスを見せ、リーグ戦勝率1位、85期卒業記念競走では1号艇にも関わらず大外6コースを選び優勝し本栖チャンプとなる。競艇学校始まって以来初の快挙となった。 1999年11月19日に地元鳴門競艇場でデビュー〔BOAT RACE Official WEB 1999年11月19日2R 鳴門競艇場(デビュー) 〕、初出走で初勝利(2走目も1着)。2001年1月に初優勝。同年2月四国地区選手権でGI初出場にして初優出を決めた。2002年8月モーターボート記念でSG初優出。2003年新鋭王座決定戦に初出場し、開会式の選手紹介で「今回で、最初で最後の王座にしたいと思います」と公言し、公言通り優勝。登録番号4000番台初のGI優勝とともに自身初の戴冠、また新鋭リーグ戦卒業となった。これはデビューしてからわずか3年2ヶ月のことで、この3年2ヶ月間に新鋭リーグ戦には10節しか出場しておらず、その間にSG・GIに16節も出場している。更に、その年の宮島チャンピオンカップを制すると、翌2004年8月オーシャンカップで登録番号4000番台初のSG初優勝を飾る。その勢いで11月のSG競艇王チャレンジカップも制した。さらに登録番号4000番台初の賞金王決定戦に出場した。 同期(85期)には井口佳典・高沖健太(三重県)、坂谷真史(故人)(福井県)、湯川浩司・丸岡正典(大阪府)、山本隆幸・廣瀬将亨(兵庫県)、田口節子・清水敦揮(岡山県)、佐々木裕美(山口県)、森高一真(香川県)、興津藍(徳島県)、松江秀徳(佐賀県)とA1級の選手が多い。 同期の選手のうち、井口、湯川、森高、山本、丸岡、田口は記念覇者。6選手ともSGの舞台で活躍している。原田幸哉、瓜生正義、魚谷智之(SG覇者)、横西奏恵(GI覇者)など好選手ぞろいの76期と比べても遜色ないまでに成長した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村隆信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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