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田 横(でん おう、? - 紀元前202年)は、秦末の人。戦国時代の斉王の一族。楚と漢が天下を争った時期に斉の支配者となった。 == 生涯 == === 挙兵 === 田横は秦の末期、兄の田栄、従兄の田儋と共に郷里の狄県で挙兵し、田儋が自立して斉王となった。しかし田儋は秦の章邯に包囲された魏王魏咎を救援に出て敗北して戦死した。斉の人間はそれを聞くと元の斉王建の弟である田仮を王に立てたので、田栄はそれに激怒した。田栄も章邯に追われたが楚の項梁に助けられ、田栄は田仮を攻撃し、田仮は楚に逃げた。田栄は田儋の子である従子の田芾を王に立て、自分はその宰相となり、田横は将となって斉を平定した。 項梁は章邯を攻撃しようとして田栄にも救援を求めたが、田栄は楚が田仮を殺せば兵を出すという条件を出した。楚はこれに応じずに戦い、項梁は章邯に敗れて戦死した。そのため、項梁の甥である項羽は田栄を恨んだ。 項羽が章邯を下し、秦王を殺して諸侯王を立てた際に、斉王の田芾を膠東王に配置換えし、項羽軍に従軍した斉王の一族田都を斉王に立て、さらに項羽に下っていた斉王建の孫の田安を済北王に立てた。項梁の件があった田栄は王になれなかったため、田栄は同じく王になれなかった陳余と共に項羽を恨んだ。そこで田栄は陳余に兵を与えて趙で反乱を起こさせ、同時に田栄も斉で反乱した。田栄は田都を楚に追い払い田安を殺害し、さらに自分に従わなかった従子田芾をも殺害して自分が王となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田横」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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