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田沼時代(たぬまじだい)は、江戸時代後期、幕閣において老中の田沼意次が幕政を主導していた時代である。年代としては明和4年(1767年)から天明6年(1786年)までの約20年間、または宝暦期から天明期と理解されている。田沼意次が幕閣において政権を握ったのは安永8年(1779年)のことであり、特に天明元年を契機とした〔山田忠雄「田沼意次の失脚と天明末年の政治状況」1970年5月(『史学43(1/2)』慶應義塾大学)〕。江戸幕府が重商主義的政策を採った時代でもある。 == 概要 == 田沼氏は8代将軍となった徳川吉宗が紀州藩の部屋住み時代からの家臣であり、藩主就任や将軍就任に際して側近を務めた。意次は江戸で幕臣に加えられ、宝暦元年(1751年)には9代将軍となる徳川家重の御側御用取次に昇格した。 ただし、田沼意次が本格的に幕政に参加するのは、宝暦8年(1758年)の、1万石の所領を与えられ、旗本から大名の格式を有するまでに取り立てられた時点や、家重が亡くなってその息子の家治に重用される宝暦11年(1761年)、あるいは明和4年(1767年)に側用人へと出世した時点、さらには、老中首座が松平武元から松平康福に代わった安永8年(1779年)を開始とする説もある。田沼意次の栄達だけでなく、その縁故によりいわゆる田沼派を形成して幕政を掌握した〔山田忠雄「田沼意次の失脚と天明末年の政治状況」1970年5月(『史学43(1/2)』慶應義塾大学)〕。 江戸時代中期には商業資本、高利貸などが発達し、それまでの米を中心とする重農主義的政策から重商主義的政策への転換の時代にあたる。江戸時代の三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)が復古的理想主義、重農主義を特徴とするのに対して、田沼は商業資本を重視した経済政策を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田沼時代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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