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田淵 節也(たぶち せつや、1923年10月25日 - 2008年6月26日)は、野村証券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。後に社長に就任する田淵義久と区別するため俗称は大田淵。 == 来歴・人物 == 岡山県津山市出身〔本籍は岡山の津山市(旧苫田郡神庭村)であるが、大邱生まれで旧制中学まで大邱で育ち、旧制高校は松江、大学は京都のため岡山に住んだことはない(日本経済新聞、2007年11月4日、40面<私の履歴書>)。〕。 旧制松江高等学校から京都大学法学部に進み卒業後の1947年野村証券に入社。主に営業畑を歩んだ後、1978年54歳の若さで社長に就任。精彩を欠いていた国際部門を飛躍に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。1985年社長の座を田淵義久に譲り会長に就任した後も、実力会長として君臨。1990年12月には証券業界では初の経団連副会長に就任したが、1991年損失補てん問題や暴力団との取引が発覚。国会で証人喚問を受けた。責任を取って会長職を辞任し相談役に退き、経団連副会長は解任された。1995年再び取締役に就任し復権を果たしたが、1997年総会屋への利益供与が発覚。すべての役職から退いた。 2008年6月26日、心不全のため死去。84歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田淵節也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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