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田渕 由美子(たぶち ゆみこ、1954年11月26日 - )は、少女漫画家。主に1970年代から1985年頃までの期間に活躍した、少女漫画誌『りぼん』の看板作家の一人。その後は小説や雑誌のイラストなど以外は作品の発表が無かったが、1995年以降、女性誌を中心に漫画家としての活動を再開している。 ==経歴== 兵庫県出身。早稲田大学文学部卒業。1969年に『りぼん』マンガスクールに入賞。1970年『りぼんコミック』11月増刊号で「ママって不思議」で漫画家デビュー。1973年に早稲田大学文学部に入学し、童謡研究会に所属〔「リレーおぴにおん 「乙女チック」の時代でした」朝日新聞2015年7月7日〕。上京後から本格的な執筆活動を始め、『りぼん』『りぼんオリジナル』等に作品を発表。 初期の「ハウスキーパー募集中」(1971年)などの無国籍的なコメディも発表したが、主に学園紛争後のキャンパスの自由な雰囲気の中での学校、サークル活動、喫茶店などを舞台にし、当時乙女チックラブコメ(ロマコメ、ラブロマ)の代表的な作家として陸奥A子らとともに人気を博した。記号的と言えるほどにデフォルメされたどんぐりまなこと細い手足でありながら叙情性を持つ印象的な絵柄と、抑制された感情表現を特徴とする。また「りぼん」誌上の学園漫画が主に中学、高校を舞台にしていたのに対し、三人の女子大生の恋愛を描いた連作「フランス窓便り」(1976年)などのように、予備校生や大学生を登場させた点でも独自性があった。当時の当時の乙女チック作家と同様にアイビー風やカントリー調の花柄ワンピースなどのファッションや、ヨーロッパ調の建物やインテリアも特色で、これらのインスピレーションは「赤毛のアン」のイメージ、ケイト・グリーナウェイの本、ルネサンス期の絵画、雑誌『an・an』などから得ていたという〔「田渕由美子先生への10の質問」(大塚英志『たそがれ時に見つけたもの』太田出版 1991年)〕。 漫画作品の他に『りぼん』の付録のイラストでも人気があり、1975-81年にかけて登場。また担当編集者と結婚。 1987年以後はストーリー漫画の発表がなくなり、集英社コバルト文庫で堀田あけみや波多野鷹らの作品の表紙・イラストを担当するなどしていた。1995年に『ママンガ』にエッセイ漫画「チュー坊がふたり」の連載を開始し、続いて1999年に『YOU』にストーリー漫画「桃子について」を掲載するなどしている。 2001年からマラソンの練習を始め、2002年にマウイマラソン完走など続けていたが、この経験について「まらそんのススメ」を2006年『コーラス』に連載、また『YOU』で「新鮮オバサン市場』に掲載。その後2006年に膝を痛めてマラソンはやめている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田渕由美子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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