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田知本 愛(たちもと めぐみ、1989年1月27日 - )は、富山県射水市 出身の日本の女子柔道家。身長168cm、体重110kg。血液型はB型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は大外刈、払腰〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。綜合警備保障所属。妹は70kg級で活躍している田知本遥〔柔道部 - ALSOK 綜合警備保障 〕。 == 人物 == 柔道は早くも保育園の頃に始めるが一旦辞めて、小学校3年の時に妹の遥とともに小杉柔道クラブで再び始めた。道場での練習以外に家でも全国中学校柔道大会の団体戦で小杉中学が初優勝した時の主将だった父から家族ぐるみで柔道を教わっていた。しかし、体が大きい割りに弱くて練習もきつく感じていたことから、辞めたいとばかり考えていた。だが、小杉中学入学の際に小遣いを上げてもらう約束で結局柔道を続けることになった〔「解体新書 田知本愛」近代柔道 ベースボールマガジン社、2006年11月号、92-95頁〕。当時の小杉中学には女子柔道部が存在しなかったために、小杉南中学で稽古を積んでいたが、1年の8月には全国中学校柔道大会に出場したことで小杉中学にも女子柔道部が設置されて、朽木淳司の指導を受けることになった。3年の時には8月の全国中学校柔道大会70kg超級で春光台中学3年の川島巴瑠菜に敗れるも2位となった〔。 小杉高校に進むと、3年の時には4月に全日本選手権に出場すると、準々決勝で綜合警備保障の塚田真希に大外刈で敗れるも5位になった。7月の金鷲旗と8月のインターハイ団体戦では妹の遥とともに活躍して優勝を勝ち取ると、個人戦の78kg超級でも優勝して2冠を達成した。10月の国体少年女子の部では準々決勝で北海道と対戦すると、インターハイ70kg級チャンピオンである 旭川南高校2年の上野巴恵に合技で敗れて5位だった。全日本ジュニアでは3位だったが、続く世界ジュニアでは初戦でルーマニアの選手に技ありで敗れた〔。シニアの国際大会初出場となったベルギー国際では妹の遥と姉妹優勝を飾った〔ベルギー国際柔道大会結果 〕。 2007年には東海大学に進学すると、1年の時には6月の優勝大会で優勝すると、9月の全日本ジュニアでは決勝で日本大学2年の白石のどかを大外刈で破って優勝を飾った。10月の学生体重別ではこの年から前人未到の4連覇を達成することになった。11月の講道館杯では3位だった〔。 2年の時には4月の全日本選手権準決勝で大学の先輩である塚田に上四方固で敗れるも3位になった。6月の優勝大会ではこの年から3年連続で2位にとどまった。7月のアジアジュニアでは優勝した。9月の全日本ジュニアでは決勝で旭川大高3年の山部佳苗に内股すかしで敗れた。10月の世界ジュニアでは70kg級で優勝した妹の遥とのアベック優勝を果たした〔「2008年世界ジュニア柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年12月号〕。11月の講道館杯では3位だった。12月の世界選手権無差別では準決勝で中国のトウ文に崩上四方固で敗れるも3位になった。グランドスラム・パリでも3位だった〔。 3年の時には11月の講道館杯、12月のグランドスラム・東京、2010年1月のワールドマスターズと3位が続いたが、2月のワールドカップ・ブダペストとグランプリ・デュッセルドルフで優勝を飾った〔。 4年の時には7月のグランドスラム・モスクワ決勝で塚田に技ありで敗れた。9月に東京で開催された世界選手権では無差別に出場して準々決勝でフランスの78kg級の選手であるセリーヌ・ルブランに大外巻込で敗れるが、その後の3位決定戦で韓国の金ナ永に技ありで勝って3位になった。10月のアジア大会では初戦で地元中国の劉歓縁に払腰で敗れるも敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。12月のグランドスラム・東京では決勝でキューバのイダリス・オルティスを指導3で破って、2008年の世界ジュニアに続く国際大会での姉妹優勝を果たした〔【柔道】夢は姉妹でロンドン五輪 田知本姉妹がV MSN産経ニュース 2010年12月13日〕。2011年1月のワールドマスターズでは決勝でコマツの杉本美香を指導2で破って優勝すると、2月のグランドスラム・パリでも決勝でスロベニアのルツィヤ・ポラウデルを指導3で破って優勝を飾った〔。 4月からは綜合警備保障の所属となった。アジア選手権では78kg超級決勝で中国の秦茜を判定で破って優勝すると、団体戦でも妹の遥とともに活躍して優勝を果たした。続く全日本選手権では初戦で78kg級の選手である筑波大学3年の緒方亜香里に技ありで敗れた。6月のグランドスラム・リオでは優勝した〔。しかし8月の世界選手権では準々決勝で佟文に上四方固で敗れると、3位決定戦でも杉本に指導2で敗れて5位に終わった〔田知本、意気込み実らず MSN産経ニュース 2011年8月28日〕。10月の世界選手権無差別では準決勝で地元ロシアのテア・ドングサシビリに上四方固で敗れると、3位決定戦でも近畿大学3年の橋口ななみに技ありで敗れて5位に終わった。11月の講道館杯決勝では山梨学院大学3年の山部佳苗に先に指導2を取られてリードされるが、払腰で逆転勝ちして、今大会初優勝を飾った〔田知本逆転V 杉本に追いつけ/柔道 日刊スポーツ 2011年11月12日〕。12月のグランドスラム・東京では決勝でロンドンオリンピックの代表を争うライバルの杉本に判定で敗れて2位にとどまった。しかしながら、この年の世界ランキングでは1位で終わることになった〔田知本愛、世界選手権に続き苦杯 サンケイスポーツ 2011年12月11日〕。 2012年1月のワールドマスターズでは準々決勝で地元カザフスタンのグルジャン・イサノワに有効で敗れた〔。2月にはグランドスラム・パリに出場して、決勝でロシアのエレナ・イワシェンコを3-0の判定で破って、70kg級で優勝した妹の遥ともども姉妹優勝を果たした〔遥も愛も強い!田知本姉妹仲良くV/柔道 日刊スポーツ 2012年2月6日〕〔2人で五輪グイッ!田知本姉妹V/柔道 サンケイスポーツ 2012年2月6日〕。4月の全日本選手権では、準々決勝で山部に1-2の判定で敗れて、5位に終わった〔山部初V、昨年女王杉本下す/柔道 日刊スポーツ 2012年4月15日〕。5月の選抜体重別では準決勝で山部に0-3の判定で敗れて、世界ランキング1位でありながらロンドンオリンピック代表にはなれなかった。この時、放心状態と化した姉にオリンピック代表が決まった妹は声をかけることさえできなかった〔「平成24年全日本選抜柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年6月号〕〔田知本遥、姉の分まで 負傷で「気持ち乱れた」 日本経済新聞、2012年8月1日〕。10月の世界団体では決勝で中国と対戦すると、2-2で迎えた大将戦において秦茜に技ありで勝利を収めて、日本チームを優勝に導く活躍を果たした。試合後のインタビューでは、「人任せではなく、やる前から自分で取らなければならないという気持ちで闘った。気持ちで前に出ることができ、リオデジャネイロ五輪に向け、いいスタートが切れた。」と語った〔日本女子が優勝=世界団体柔道 時事通信 2012年10月28日〕〔五輪代表不在の日本女子が優勝 柔道の世界団体第1日 スポーツニッポン 2012年10月28日〕。12月にはグランドスラム・東京に出場すると、決勝でロンドンオリンピック金メダリストであるオルティスを片手絞で破って、今大会2年ぶり2度目の優勝を果たした〔田知本が五輪金メダリスト破り優勝/柔道 日刊スポーツ 2012年12月2日〕。 2013年2月にはグランドスラム・パリに出場すると、決勝でオルティスに反則勝ちするなど、オール一本勝ちで今大会3連覇を飾った。女子柔道強化選手による暴力告発問題に関しては、「向こうに行ったら、(騒動は)そんなに気にならなかった。いつも通り試合に集中できた」と述べた〔田知本オール一本勝ちでV!緒方は2位 GSパリ大会最終日 スポーツニッポン 2013年2月10日〕〔柔道女子帰国「いつも通り集中」「早く収束を」 読売新聞 2013年2月14日〕。4月の全日本選手権では順当に決勝まで進むが、関東予選決勝では2-1の微妙な判定ながら破っていた了徳寺学園職員の緒方亜香里に大内刈で有効を取られて優勢負けして2位にとどまった〔 日本経済新聞 2013年4月21日〕。5月の体重別では3位にとどまったが、実績で世界選手権代表に選ばれた〔 読売新聞 2013年5月12日〕。8月の世界選手権では、準決勝でオルティスに指導2で敗れて3位に終わった〔 時事通信 2013年9月1日〕。一方、世界団体では決勝で地元のブラジルと対戦すると、副将戦で妹の遥が敗れたために2-2のタイで迎えた大将戦において、マリア・アルテマンに指導1で勝利してチームを優勝に導いた。この際に、「団体戦は絶対に勝ちたかった。最後に金メダルを取れて良かった。決勝は妹(遥)が失点したので、自分が取り返さないといけないと思った」と語った〔 スポーツ報知 2013年9月2日〕〔 日刊スポーツ 2013年9月3日〕。12月のグランドスラム・東京では準決勝で渋谷教育学園渋谷高校1年の朝比奈沙羅を指導2、決勝では山部を指導3でそれぞれ破って、今大会2年連続3度目の優勝を果たした〔 日刊スポーツ 2013年12月1日〕。 2014年2月のグランプリ・デュッセルドルフではオール一本勝ちで優勝を果たした〔柔道グランプリ大会 日本経済新聞 2014年2月24日〕。4月の体重別では決勝で山部に指導3で敗れた。続く全日本選手権では、決勝で山部に払腰で敗れて2年連続2位にとどまったものの、国際大会での活躍が評価されて、山部とともに世界選手権代表に選出された〔 読売新聞 2014年4月20日〕。6月のグランプリ・ブダペストではオール一本勝ちで優勝して、最優秀女子選手に選ばれた〔Judo Grand Prix, Budapest 2014 DAY2 〕。8月の世界選手権では準決勝でアルテマンに指導1で敗れてまたも3位に終わった。この際に、「銅メダルばかりで、その壁を破れなかった」「やってきたことを出せなかった」と語った〔 時事通信 2014年8月30日〕〔 日刊スポーツ 2014年8月31日〕。世界団体では3位だった〔 日本経済新聞 2014年8月31日〕。12月のグランドスラム・東京では準決勝で朝比奈に敗れて3位に終わり、3連覇はならなかった〔。 2015年2月のヨーロッパオープン・オーバーヴァルトでは決勝で中国の于頌を足車で破るなどしてオール一本勝ちで優勝を飾った〔 サンケイスポーツ 2015年2月16日〕。4月の体重別では決勝で三井住友海上の稲森奈見を指導2で破って、70kg級で優勝した妹の遥とアベック優勝を果たした〔海老沼、田知本姉妹がV 柔道の全日本選抜体重別選手権 日本経済新聞 2015年4月5日〕〔【柔道】田知本姉妹「絆」の同時V スポーツ報知 2015年4月5日〕。続く全日本選手権では決勝で昨年敗れた山部を3-0の判定で破り、今大会出場10回目にして初の優勝を飾って世界選手権代表に選出された。この際に、「去年、一本負けした山部さんにリベンジできた。本当にうれしい」と語った〔柔道の全日本女子選手権 田知本が初優勝 NHK 2015年4月19日〕〔 スポーツ報知 2015年4月19日〕〔田知本愛と山部を選出=女子の世界代表決定 時事通信 2015年4月19日〕。5月のワールドマスターズでは準決勝でそれまで3戦全勝していた于頌に指導2で敗れて3位にとどまった〔 時事通信 2015年5月25日〕。8月の世界選手権では準々決勝でGSに入ってからオルティスを指導1で破ると、準決勝ではロシアのクセニア・チビソワと対戦するとケガをしながらもやはりGSに入ってから有効を取って勝利した。しかし、決勝では于頌に指導2で敗れて2位に終わった。試合後のインタビューでは、「去年(3位)は銀と銅の違いを感じましたが、ことしは金と銀の違いを感じています。あと少しで優勝できたので…」と語った〔 読売新聞 2015年8月29日〕〔 サンケイスポーツ 2015年8月30日〕。12月にはグランドスラム・東京に出場予定だったが、世界選手権の時に負傷した左大腿半膜様筋損傷により欠場することとなった〔 時事通信 2014年11月20日〕。 2016年2月のグランドスラム・パリでは3回戦で于頌を指導2で破るなどして決勝まで進むと、中国の馬思思を指導2で破って、今大会3年ぶり4度目の優勝を飾った。また、グランドスラム大会の新記録となる14個目のメダル獲得ともなった〔 産経新聞 2016年2月8日〕〔Paris Grand Slam 2016 - France DAY 2 〕。4月の選抜体重別では準決勝で大学の8年後輩となる朝比奈にGSに入ってから払巻込の有効で敗れて3位にとどまった〔 サンケイスポーツ 2016年4月2日〕〔 デイリースポーツ 2016年4月2日〕。 IJF世界ランキングは1700ポイント獲得で、6位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田知本愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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