|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 端 : [はし] 【名詞】 1. end (e.g., of street) 2. edge 3. tip 4. margin 5. point ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 之 : [これ] (int,n) (uk) this
田端 信之(たばた のぶゆき、1963年12月27日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元日本ウェルター級、同スーパーウェルター級王者。現役時代はコーエイ工業小田原ボクシングジム所属。パンチ力、テクニックともに中量級では傑出し〔、「和製ハーンズ」の異名をとった。 == 来歴 == === プロ === 1981年12月27日、プロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。以来6戦連続KO勝利後の1982年12月19日、不戦勝で東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得。翌1983年3月5日、8戦連続KO勝利で全日本ジュニアウェルター新人王を獲得し、同大会のMVPに選出された。 1984年1月13日、プロ12戦目にして無限川坂(上福岡)との対戦に10R判定負けで初黒星を喫し、同年4月5日には尾崎富士雄(帝拳)との対戦に4RKO負けを喫して2連敗となった。その後、6勝 (5KO) を上げるが、1985年9月30日、オーストラリアのでオーストラリアウェルター級王者のブライアン・ジェンセンに5RTKO負け。同年11月16日、韓国・城南市で李相縞(韓国)に10RKO負けを喫した。 1986年2月6日、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ日本ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得したが、同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。 1987年1月8日、日本ジュニアミドル級王座決定戦を久保健司(アポロ)と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。同王座を1度防衛後の同年8月23日、猛暑の〔韓国・仁川広域市で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、脱水症状を起こして〔9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。 1989年3月20日、田島吉秋(ベル協栄)の持つ日本ミドル級王座に挑戦し、三者三様の判定引分となって3階級制覇は果たせず、この試合を最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田端信之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|