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田谷 廣明(たや ひろあき、1944年(昭和19年)12月27日 - )は、東京都出身の元大蔵官僚。二信組事件関連で、イ・アイ・イ・グループの高橋治則のプライベートジェットで香港旅行したことなどの過剰接待により辞任した。また主計官時代に整備新幹線着工問題に関して、昭和三大馬鹿査定発言を行い、物議を醸した。 == 来歴・人物 == 1944年、東京神田に生まれる。中学から東京学芸大学附属、一浪の後に東京大学に入学〔試験の当日大風邪をひいたため、現役の時は東京大学入学試験は不合格だった〕。国家公務員上級試験の成績は一位〔田谷を含めて同点一位が3人いた〕。司法試験も現役で合格〔。 運輸・郵政主計官であったとき、大蔵原案の内示の記者説明の場で、整備新幹線着工問題に関して、「昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和・武蔵、伊勢湾干拓、青函トンネルだ。整備新幹線着工を認めれば、その一つになる」という昭和三大馬鹿査定発言を行い、物議を醸した。 1995年3月9日発売の『週刊文春』に「イ・アイ・イ・グループ代表と専用ジェット機豪華香港旅行した大蔵官僚の名」という記事が掲載。また同日に開かれた衆議院予算委委員会での高橋治則(東京共同信用組合前理事長)の証人喚問において、日本共産党の正森成二の質問、「あなたは自家用専用飛行機で大蔵官僚と香港に行ったか。その名は田谷という名前ですね」に対して、高橋が「はい。ご一緒しました」と認めた。これを受け、大蔵大臣であった武村正義が本人から直接事情を聞き、本人が事実を認めた〔大臣室に入ると武村正義は開口一番「辞表を出せ」と迫ったと言われる〕。3月13日に東京税関長を更迭、同じく高橋治則から料亭などで過剰な接待を受けていた中島義雄(当時、主計局次長)と共に訓告処分を受けた。その年の12月31日付けで辞職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田谷廣明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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