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田辺一郎 : ミニ英和和英辞書
田辺一郎[たなべ いちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [いち]
  1. (num) one 

田辺一郎 : ウィキペディア日本語版
田辺一郎[たなべ いちろう]
田辺 一郎(たなべ いちろう、1938年8月1日 - )は、将棋棋士。1999年、引退。松下力九段門下。棋士番号は91。東京都江東区出身。
== 棋歴 ==
1962年度後期奨励会A組に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の桜井昇の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた橋本三治に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。
初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組順位戦において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる桐山清澄勝浦修森安秀光森雞二がいた。田辺は森安と森に勝ち、桐山に負けた。昇級者は桐山と勝浦であった。
1973年度、第1回名将戦で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で加藤一二三九段を破るが、2回戦で中原誠名人(三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。
1976年度、第9回日本将棋連盟杯争奪戦で4回戦に進出。米長邦雄八段に敗れる。
第32回(1982年度)NHK杯戦で本戦出場。1回戦で有吉道夫九段を破る。
第48期(1989年度)C級2組順位戦で、初参加から24期目にして1勝9敗で初の降級点を喫し、49期は全敗、50期は1勝9敗と3期連続降級点となり順位戦から陥落。フリークラス在籍中の1998年度に満60歳となり、現役を引退
なお、日本将棋連盟普及部に長く在籍した〔平成10年版「将棋年鑑」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田辺一郎」の詳細全文を読む




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