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田辺 一郎(たなべ いちろう、1938年8月1日 - )は、将棋棋士。1999年、引退。松下力九段門下。棋士番号は91。東京都江東区出身。 == 棋歴 == 1962年度後期奨励会A組に入り、5期目となる1964年度後期奨励会A組で、11勝1敗の抜群の成績で関東優勝。関西優勝者の桜井昇の優勝が2度目(1度目は東西決戦でA組に陥落していた橋本三治に敗北)であったため、東西決戦は行われず、1965年4月1日付けで田辺と桜井が同時に四段昇段(プロ入り)をした。 初参加から4期目の第23期(1968年度)C級2組順位戦において、8勝4敗の成績で次点。これが田辺にとって、順位戦における最高成績である。このときのC級2組は総勢16名で、その中には後にA級八段となる桐山清澄、勝浦修、森安秀光、森雞二がいた。田辺は森安と森に勝ち、桐山に負けた。昇級者は桐山と勝浦であった。 1973年度、第1回名将戦で予選を突破。1974年度に行われた本戦では、1回戦で加藤一二三九段を破るが、2回戦で中原誠名人(三冠)に敗れる。なお、同棋戦では第3回、第4回、第7回、第13回でも本戦出場している。 1976年度、第9回日本将棋連盟杯争奪戦で4回戦に進出。米長邦雄八段に敗れる。 第32回(1982年度)NHK杯戦で本戦出場。1回戦で有吉道夫九段を破る。 第48期(1989年度)C級2組順位戦で、初参加から24期目にして1勝9敗で初の降級点を喫し、49期は全敗、50期は1勝9敗と3期連続降級点となり順位戦から陥落。フリークラス在籍中の1998年度に満60歳となり、現役を引退。 なお、日本将棋連盟普及部に長く在籍した〔平成10年版「将棋年鑑」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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