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田辺 希賢(たなべ まれかた、承応2年2月9日(1653年3月8日) - 元文3年10月1日(1738年11月12日))は江戸時代の仙台藩士。仙台藩の儒学者かつ神道家、歴史家。通称は喜右衛門。字は淳浦、整斎。号は西山贋樵。謚は恭懿先生。仙台藩儒宗田辺氏の祖。著作多数。家格は召出二番座。 == 経歴 == 天正17年(1589年)に京都銅鑼坊に移った上毛野氏族田辺氏の一族で京都にて出生。はじめ伊藤仁斎、後に木下順庵、山崎闇斎らに師事する。また、神道を卜部氏、持明院流書流を持明院基時、茶道を清水道竿に学ぶ。 仙台藩主伊達綱村の命を受けた大島良設の名家選考の対象の一人となり、延宝7年(1679年)に仙台藩に召し出されて仙台藩儒となる。元禄6年(1693年)に京都から仙台に移り、元禄8年(1695年)に綱村の養嗣子伊達吉村の侍講となる。元禄15年(1702年)に家格召出となる。石高600石と60貫目〔「三百藩家臣人名事典1」及び「宮城県姓氏家系大辞典」の『姓氏編』では600石、「宮城県姓氏家系大辞典」の『歴史・人物編』で60貫目とある。〕を知行する。 享保9年(1724年)に隠居し、子の田辺希文が家督を相続。墓所は東昌寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺希賢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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