|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 辺 : [へん] 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances ・ 八 : [やつ] (num) eight
田辺 弥八(たなべ やはち、1905年(明治38年) 8月13日 - 1990年(平成2年)4月29日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争において米空母ヨークタウンを撃沈した「伊一六八」潜水艦長でもある。最終階級は海軍中佐。 == 来歴・人物 == 香川県出身。旧制香川県立三豊中学校(第21回)を経て海軍兵学校入校。 田辺は海兵56期生で、同期に高橋赫一、大谷藤之助、三上作夫らがいる。田辺は通信学校甲種を修了し、通信を一つの専門〔『不沈潜水艦長の戦い』「頂門の一針」〕としながら、潜水艦水雷長養成過程である潜水学校乙種を履修し潜水艦乗りとなる。海軍大尉時代は「伊八潜」通信長を5ヶ月、第二潜水戦隊参謀を1年8ヶ月務め、1940年(昭和15年)11月海軍少佐へ進級。潜水艦長養成課程である潜水学校甲種学生で4ヶ月ほどの教育を受け、「呂五九潜」艦長として太平洋戦争を迎えた。 1942年(昭和17年)1月、「伊一六八潜」艦長となり5月13日、ミッドウェー海戦に出撃する。同海戦において日本海軍は空母4隻を撃沈されるなどの損害を受けた。田辺は、度重なる損害を受けながら沈没せず曳航されていた空母ヨークタウン及び駆逐艦ハムマンを雷撃し撃沈した。海戦終了後に「伊一七六潜」艦長に転じ南方へ出撃。10月20日には米重巡チェスターを雷撃、日本側では発射魚雷6本中2本の命中としており〔『日本海軍潜水艦物語』「ヨークタウンの撃沈と二人のヒーロー」〕、アメリカ側も損傷を受けたことを認めている。ガダルカナル島への輸送任務に従事中、米戦闘機の銃撃により負傷し〔『日本海軍、錨揚ゲ!』「第八話 下級指揮官に多かった真の武人」 〕帰国。潜水学校教官に就任し、1944年(昭和19年)5月に海軍中佐へ進級。1945年(昭和20年)6月には特兵部員に転じ、終戦を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺弥八」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|