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田辺三菱製薬サッカー部(たなべみつびしせいやくサッカーぶ)は田辺三菱製薬(旧・田辺製薬)のサッカー部。大阪市淀川区に本拠地を置く。創部は1927年。 == 概要 == 田辺製薬がまだ個人組織で「田邊五兵衛商店」と名乗っていた1927年に創部。発起人は後の同社社長・第14代田辺五兵衛(当時:田辺治太郎)であった。 サッカー部の本格的な強化が始まるのは、治太郎が五兵衛を襲名して社長に就任、社名も田辺製薬へと変わった後の1948年から。代表クラスの人材を次々と獲得し、1950年から全日本実業団サッカー選手権大会を6連覇。94戦93勝1分という大記録を打ち立てる。 1956年のメルボルンオリンピックの日本代表には3人の田辺製薬所属選手が名を連ねた。 実業団サッカー界では並外れた実力を持っていたが、当時大学チームがタイトルを独占していた天皇杯には参加しなかったため、日本一のタイトルは獲得していない。なお、田辺製薬の選手の一部は大阪クラブや全関学といった強豪クラブのメンバーとして天皇杯に出場しており、優勝をはじめ上位進出に貢献した。 日本リーグ(JSL)が開幕する頃になるとかつての存在感は身を潜め、1部への参加は1973年の1シーズンのみ。JSL2部所属ながら1980年天皇杯では決勝に駒を進めるも、三菱重工の前に0-1で敗れている。 1992年に開幕したジャパンフットボールリーグ(JFL)でも2部に参加したが、わずか1シーズンのみで関西サッカーリーグへ降格。2000年からは大阪府社会人サッカーリーグに所属している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺三菱製薬サッカー部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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