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田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)は、日本の土木技術者・工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。北海道の狩勝峠の名づけを行った。 == 略歴 == * 1861年 - 高島秋帆門下の洋式砲術家である田辺孫次郎の長男として江戸に生まれる。 * 1875年 - 叔父の田辺太一の勧めにより、工部寮小学校に入学。 * 1883年 *工部大学校卒業。卒業論文は、『隧道建築編』、『琵琶湖疏水工事編』であった。 * 北垣国道京都府知事に請われて京都府御用掛となり、琵琶湖疏水工事に従事する。 * 1888年 - 渡米。コロラド州アスペンを訪れ、水力発電所などを視察。 * 1890年 - 琵琶湖疏水が完成。秋、北垣国道の長女・しずと結婚。 * 1891年 - 日本初の水力発電所である蹴上発電所が完成。東京帝国大学教授に就任〔「叙任及辞令」『官報』1890年11月4日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。工学博士を授与〔「博士授与式」東京日日新聞明治24年8月25日『新聞集成明治編年史. 第八卷』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕 * 1894年 - イギリス土木工学会からテルフォード・メダルを授与される。 * 1896年 - 北海道庁長官を務めていた岳父・北垣国道に請われ、東京帝国大学を退任し、北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道の計画・建設にあたる。 * 1910年 - 京都帝国大学教授に就任。 * 1916年 - 京都帝国大学工科大学長に就任〔「叙任及辞令」『官報』1916年4月11日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 * 1918年 - 京都帝国大学を退官。退官後も大阪市営地下鉄などの各地の鉄道建設計画等に関与した。 * 1944年 - 死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺朔郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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