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田部 正壮(たなべ まさたけ、嘉永2年11月7日〔『人事興信録』〕(1849年12月21日) - 昭和14年(1939年)9月21日〔 〕)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。広島市長。 ==経歴== 広島県出身。1872年(明治5年)、陸軍歩兵少尉心得に任ぜられる。西南戦争では教導団の引率をつとめた。近衛歩兵第4連隊第1大隊長、近衛副官を経て〔『官報』第2113号、1890年7月16日。 〕、日清戦争時には近衛師団兵站官を務め、後に台湾総督府副官に転じた。1896年(明治29年)9月25日、歩兵第2連隊長〔『官報』第3976号、明治29年9月28日。〕に歩兵中佐で任命され、翌年10月11日に歩兵大佐〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』38頁。〕に昇進した〔。1903年(明治36年)7月2日、少将に昇進〔『官報』第6000号、明治36年7月3日。〕。日露戦争では第8師団隷下の歩兵第16旅団長として黒溝台会戦に参戦〔『日本陸軍将官辞典』463頁。〕。さらに第3師団に属し歩兵第5旅団長を務め、奉天会戦に参戦した〔。戦後の1907年(明治40年)11月7日に中将に補せられ、同時に後備役編入となった〔『官報』第7310号、明治40年11月8日。 〕。 その後、1917年(大正6年)から1921年(大正10年)まで広島市長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田部正壮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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