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由利徹 : ミニ英和和英辞書
由利徹[ゆり とおる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 

由利徹 : ウィキペディア日本語版
由利徹[ゆり とおる]

由利 徹(ゆり とおる、1921年5月13日 - 1999年5月20日)は、日本喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。
== 来歴 ==
宮城県石巻市出身。もともとはピストン堀口に憧れてボクサーを目指していたが〔月刊現代 2002年3月号 p.268 - 276「連載 東京の『喜劇人』たち(第二回)」〕、ムーランルージュ新宿座の芝居に憧れ、1940年昭和15年)、18歳の時に上京。1942年(昭和17年)に伯父の知人の世話によりきっかけをつかんで〔ムーランルージュ入団〔高平哲郎・著『由利徹が行く』(白水社)p.14〕。しかし翌1943年(昭和18年)に大日本帝国陸軍応召され、中国華北地方へ赴任〔。1945年(昭和20年)に帰国し、ムーランルージュに復帰〔。ムーランルージュが解散した1951年(昭和26年)の3月帝国劇場公演『マダム貞奴』に出演〔。しかし新宿セントラル劇場側から帝国劇場よりも高額なギャラを提示されてそれに乗り〔由利ちゃんの誰にもいうんじゃないぞ(廣済堂出版)p.136〕、同劇場を振り出しとしてストリップ劇場のコントで活躍〔。
最初の芸名は「南啓二」(自ら名付けた)。その後「宇留木三平」となり、その後「ムリトウル」(「無理通る」に由来)にしようとしたが「この名前では大物になった時に困るだろう」として、一字変えて「由利徹」とした〔『由利徹が行く』p.22 - 23〕。
1956年昭和31年)に南利明八波むと志とともに『脱線トリオ』を結成〔。1961年(昭和36年)の脱線トリオ解散後は引き続き南利明や佐山俊二と組むなどしていたが、単独での活動が主となっていく〔。その人柄と幅広い芸風から、多くのお笑い芸人から慕われていた。『時間ですよ』(TBS系)や『寺内貫太郎一家』(同)など久世光彦演出・プロデュースによるテレビドラマの常連でもあった。
1979年(昭和54年)、日劇公演『雲の上団五郎一座』の4代目座長に就任〔ありがとう笑名人 第一巻(白夜書房)p.72〕。
1991年(平成3年)4月日本喜劇人協会会長に就任〔高平哲郎・著『それでも由利徹が行く』(白水社)p.10〕。
1993年(平成5年)、勲四等瑞宝章受章〔。
1999年(平成11年)5月20日午後9時30分、肝臓癌のため死去。。
プロボクサーからお笑いタレントに転向した、たこ八郎の師匠としても有名〔『由利徹が行く』p.28〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「由利徹」の詳細全文を読む




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