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大碇 剛(おおいかり つよし、1972年6月16日 - )は、京都市西京区出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。本名は、齋藤剛(さいとう つよし)、身長177cm、体重137kg。最高位は東前頭11枚目(2000年3月場所)。現在は年寄・甲山。 == 来歴 == 京都商業高校(現・京都学園高等学校)時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍した。勧誘にやってきた伊勢ノ海親方や後援会などからは大文字以来となる京都御当地関取を嘱望されたことで入門を決意し、大学の1年先輩である土佐ノ海が所属する伊勢ノ海部屋に入門し、「大碇」の四股名で1995年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。立合いから一気に押す正統派の突き押し相撲で期待された。 小兵のため幕下上位で苦労したが、1997年5月場所に新十両への昇進を果たした。京都府出身としては13人目の関取であり、これ以前は大文字の引退以降23年10か月に渡って京都府出身の関取経験者が不在となっていた。その後、幕下へ陥落したこともあったものの、1998年5月場所では10勝5敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、続く7月場所と9月場所でも勝ち越しを決め、同年11月場所に新入幕を果たした。その場所では5勝10敗と大敗して1場所で十両へ陥落し、1999年は十両上位に位置していたものの再入幕は果たせずにいたが、2000年1月場所に再入幕を果たし、その場所で8勝7敗と幕内では初めての勝ち越しを決めた。しかし、翌3月場所では5勝10敗と大敗し、翌5月場所で再び十両へと陥落した。 2001年11月場所では東十両3枚目の位置で11勝4敗の好成績を挙げて2回目の十両優勝を果たし、翌2002年1月場所で3回目の入幕を果たしたものの、その場所も含めて4場所連続で幕内で負け越し、同年7月場所を最後に幕内へ復帰することはできず、結局、幕内での勝ち越しは2001年1月場所の1場所のみに終わり、幕内への定着は果たせなかった。怪我の影響により、2004年9月場所には幕下に陥落し、その場所では2勝5敗と負け越し、翌11月場所でも3勝4敗と負け越したのを最後に現役を引退、準年寄・大碇を襲名した。2005年5月に借株で年寄・甲山を襲名し、その後、年寄名跡を正式に取得して、現在は伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっている。なお、関取時代には地元の京都放送において、ニュースで「今日の大碇」と題したコーナーを設けて取組の結果を紹介していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大碇剛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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