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甲府勤番(こうふきんばん)は、江戸幕府の役職。江戸時代中期に設置され、幕府直轄領化された甲斐国に常在し、甲府城の守衛や城米の管理、武具の整備や甲府町方支配を担った。 == 甲斐一円の幕府直轄領化と甲府勤番支配 == 甲斐国は武田氏滅亡後に徳川氏、豊臣系大名が領し、甲府城が新たに築かれ、甲府を中心とする支配が行われていた。江戸時代初期には国中三郡を治める甲府藩、東部の郡内地方を治める谷村藩が設置され、宝永元年(1704年)に谷村藩が廃止された柳沢藩主家時代には、甲斐一円は甲府藩支配となっていた。甲州街道を通じて江戸と結ばれる甲斐国は政治的要地と位置づけられていたが、享保年間に将軍徳川吉宗の主導した享保の改革においては幕府直轄領拡大政策が行われた。享保9年(1724年)3月に柳沢家が転封されて甲府藩は廃藩となり、甲斐一円は幕府直轄領化され、甲府町方は町奉行から勤番支配へ、在方は四分代官支配へと移行した。 『徳川実紀』『甲府勤番日記』によれば、甲府城の受け渡しが完了すると同年7月4日には有馬純珍、興津忠閭が赴任し、8月には老中水野忠之から服務内容「於甲府勤番之事」が達せられた。 老中松平定信が主導した寛政の改革においては、不良幕臣対策として甲府勝手小普請が併設される。慶応2年(1868年)8月5日には甲府勤番支配の上位に甲府城代が設置され、同年12月15日には甲府町奉行が再び設置され、甲府勤番の機能は城代、小普請組、町奉行に分割された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲府勤番」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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