|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 甲斐 : [かい] 【名詞】 1. effect 2. result 3. worth 4. use 5. avail ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一条 : [いちじょう] 【名詞】 1. streak 2. matter 3. quotation ・ 氏 : [うじ] 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth
甲斐一条氏(かいいちじょうし)は、甲斐源氏武田氏の一族。 平安時代後期には甲斐源氏の一族が甲府盆地各地へ土着し、武田信義の次男・一条忠頼は山梨郡一条郷(山梨県甲府市)に拠り、一条氏を称した。忠頼は甲斐源氏の惣領となるが、元暦元年(1184年)に源頼朝の甲斐源氏弾圧で謀殺され(『吾妻鏡』)、一時は断絶する。 一条氏は頼朝の弾圧を免れた武田信光(石和信光)の子・一条信長(武田六郎、忠頼の甥にあたる)により再興される。信長は幕府に近侍し、甲斐では武田八幡宮へ大般若経を寄進している事跡が知られる。信長の孫にあたる一条時信は甲斐守護となり、忠頼が館を構えた一条小山(近世初頭に甲府城が築かれる)に時宗道場の一蓮寺が建立された。 時信には9人の男子があり、釜無川右岸の巨摩郡武川筋に入部した時光の青木氏は教来石氏(馬場氏)、柳沢氏、折井氏、山寺氏、横手氏、入戸野氏、山高氏、白須氏、横根氏、牧原氏らの武川衆を支族として分出する。また、忠頼の次男・行忠は巨摩郡甘利庄(韮崎市)に拠り甘利氏を称し、行忠の子・頼安は上条氏の祖となる。 == 戦国期の一条氏 == 戦国時代には武田信虎の九男・一条信龍によって名跡が継承され、御一門衆となる。戦国期の一条氏は本拠を上野(市川三郷町上野)に定め、甲府にも館を持った。信龍は主に駿河方面の防備を担当していたが、天正10年(1582年)3月に織田信長の甲州征伐により子息信就とともに処刑され、滅亡する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲斐一条氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|