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甲斐修侍 : ミニ英和和英辞書
甲斐修侍[かい しゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

甲斐 : [かい]
 【名詞】 1. effect 2. result 3. worth 4. use 5. avail 
: [さむらい]
 【名詞】 1. Samurai 2. warrior 

甲斐修侍 : ウィキペディア日本語版
甲斐修侍[かい しゅうじ]

甲斐 修侍(かい しゅうじ、1972年3月22日 - )は、宮崎県出身のフットサル選手。Fリーグペスカドーラ町田に所属し、ペスカドーラ町田のクラブ代表も務めている。ポジションはアラフィクソ。カスカヴェウ時代のチームメイトだった林善徹が代表を務めるスターポリスとマネジメント契約を結んでいる。
== 経歴 ==
宮崎県出身。小学3年時に大阪府の高槻松原FCでサッカーをはじめ、6年時には第7回全日本少年サッカー大会で3位となって優秀選手に選ばれた〔甲斐修侍: インタビュー TIMEX〕。中学年代でも高槻松原FCでプレーし、中学2年時にはU-15サッカー日本代表としてタイに遠征し、プリンセスカップに出場して準優勝した〔。大阪府立阿武野高等学校を卒業後、社会人サッカークラブの東大阪FCFC KYOKENでプレー〔。1996年夏にはプロサッカー選手を目指したが契約には至らず、山中湖スポーツセンターに就職してフットサルコートで働いた〔第1章チーム勃発(3)アズー フットサル関東三国志 2010年4月28日〕。24歳だった1996年末には広山晴士安田和彦黒岩分幸らとフットサルクラブアズーを結成し、山中湖スポーツセンターのバックアップを受けた〔。山中湖スポーツセンターでは全国規模のフットサル大会が開催されるなどし、日本のフットサル黎明期にはフットサルのメッカのひとつだった〔。
アズーは日系ブラジル人の眞境名オスカーらを擁し、1998年1月の第3回全日本フットサル選手権大会に山梨県代表として出場、ルネス学園甲賀サッカークラブに敗れはしたものの準優勝した〔関東フットサル三国志/第1章「その4 : 横浜マリノスが参戦した第3回全日本選手権」 Futsal Edge 2015年4月8日〕。1998年にはアズーがエスポルチ藤沢ファイルフォックスのふたつに分かれた。甲斐は市原誉昭とともに神奈川県にエスポルチ藤沢を設立し、眞境名オスカーは東京都府中市にファイルフォックスを設立した。甲斐と市原はブラジルのカスカヴェウという町に短期留学し、この町の名称が後に設立するカスカヴェウの由来となった。ブラジルのカスカヴェウでは日本人初のプロフットサル選手としてプレーし、2000年にはブラジル・サンパウロ州公認フットサルコーチングライセンスを取得している〔。
2015年1月には監督の関野淳太が辞任して岡山孝介が新監督に就任したが、これと同時に甲斐は選手兼任コーチに就任した〔ペスカドーラ町田・甲斐修侍選手「選手権でのあの集中力、緊張感は宝物」 デジタルピヴォ! 2015年7月8日〕。
息子は川崎フロンターレの下部組織に所属しており、2015年には川崎フロンターレ U-12で背番号5番をつけた〔オフィシャルライター加藤未央のダノンネーションズカップ観戦記 ダノンネーションズカップ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「甲斐修侍」の詳細全文を読む




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