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甲賀 源吾(こうが げんご)は幕末の幕臣。軍艦操練方。のち箱館政権(俗に蝦夷共和国)海軍の主要メンバーとなる。「回天丸」艦長として宮古湾海戦で戦死。名は秀虎。 == 生涯 == === 生い立ち === 遠江国掛川藩家臣、甲賀 孫太夫秀孝 の第4子として、掛川藩江戸藩邸〔掛川藩 , 掛川藩 , 掛川藩 〕で生まれる。 安政2年(1855年)、江戸に出て佐倉藩士・木村軍太郎に就いて蘭学を学ぶ。2年後に帰省するが、安政5年(1858年)、航海術を学ぶことを志し、再び江戸へ出て、築地の軍艦教授所で教授頭を務めていた矢田堀鴻の下で学び、夏には矢田堀に従って長崎へ行っている。 この前年から、カッテンディーケを筆頭とする第2次オランダ海軍伝習教師団が、長崎海軍伝習所に来ていた。甲賀の長兄・郡之丞は、勝海舟や矢田堀とともに、ただ一人の掛川藩士として、第1次の長崎オランダ海軍伝習を受けていた。しかし、第2次のころには、幕臣以外の者の新たな受け入れはしていなかったにもかかわらず、甲賀が長崎へ行ったということは、矢田堀の門下として、非公式に伝習を見学した可能性が高い。続いて、矢田堀の甥、荒井郁之助とともにオランダ語で高等数学を研究し、艦隊操練の書を翻訳した。その後、英語も学んだという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲賀源吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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