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奈良華族(ならかぞく)は、奈良・興福寺の僧職にあった公家の子弟出身の僧侶のうち、明治維新後に還俗して公家社会に復帰し、華族となることを得た26の家系の総称。いずれも華族令の施行とともに男爵が授爵された。 == 概要 == 王政復古後、新政府は神道を日本固有の信仰として重視し、国学者の進言を容れて神仏分離の方針を打ち出すことになった。こうした潮流を察知した興福寺ではいち早く廃仏毀釈が徹底されたが、その一環として門跡や院家として興福寺の僧職にあった公家出身の僧侶たちが一斉に還俗することになった。新政府は彼らを公家として処遇し、明治2年(1868年)、堂上格もしくは一代華族として彼らを華族に組入れ、明治17年(1884年)の華族令で爵位制度が発足すると「一新後新たに家を興したる者」として男爵の爵位が授けられた。 奈良華族は藤原氏とそれ以外によって待遇に差があった。還俗後、氏神であり興福寺と習合されていた春日大社の神官に転じた藤原氏に連なる者は、別家・独立の扱いを受け、堂上格として認められた。これに対し、藤原氏ではない者は還俗後に京都の実家に復帰し、初め一代華族として処遇され、後に永世華族に昇格している。 時代が下ると、奈良華族の中からは貧困に喘いで華族としての体面を保つことができず、爵位を返上する者が現われるようになった。長く僧籍にあったため家禄を得ず、ただでさえ資産に乏しかったところへ、新家の創設にかかる諸経費が追い打ちをかけたのである。華族は「皇室の藩屛」という建前上、政府はそうした奈良華族に対する経済的援助の必要性を認め、天皇より奈良華族に対して下された下賜金を元手とする基金・男爵華族恵恤金(だんしゃく かぞく けいじゅつ きん)を創設、毎月の利子から一定額を彼らに配当することで家門の永続を期した。ただし一家あたりの月々の配当金は当時の会社員の月給より少し多い程度だったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奈良華族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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