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男谷精一郎 : ミニ英和和英辞書
男谷精一郎[おとこ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おとこ]
 【名詞】 1. man 
: [せい]
 【名詞】 1. spirit 
精一 : [せいいつ]
 (adj-na,n) purity
: [いち]
  1. (num) one 

男谷精一郎 ( リダイレクト:男谷信友 ) : ウィキペディア日本語版
男谷信友[おたに のぶとも]

男谷 信友(おたに のぶとも、寛政10年1月1日1798年2月4日) - 元治元年7月16日1864年8月17日))は、幕末幕臣剣術家直心影流男谷派を名乗った。その実力の高さと温厚な人格から、「幕末の剣聖」と呼ばれることもある。官位従五位下下総守。通称精一郎は静斎、蘭斎。幼名は新太郎。門下から島田虎之助榊原鍵吉などの名剣士が輩出した。
== 人物 ==

=== 生い立ち ===
寛政10年(1798年)、男谷検校(米山検校)の孫・男谷信連(新次郎)の子として生まれる(文化7年(1810年)誕生説もある)。20歳の時に同族(従叔父)の男谷思孝(彦四郎、忠果)の婿養子となる。彦四郎も男谷検校の孫であった。
検校は元々越後国三島郡長鳥村(現・新潟県柏崎市)の貧農の出で盲人であったが、雪の夜に奥医師石坂宗哲の門前で行き倒れていた所を助けられた。宗哲から12分の資金を借りて生業を始めた所、利財の才に長け、江戸府内17箇所の地主となり検校の位を買い、大名貸も行うほどになった。
検校の末子平蔵(忠凞)は、安永5年(1776年)に江戸幕府の西丸持筒与力御家人)となり(父に御家人株を買い与えられたという)、後に勘定に昇進し旗本となった。平蔵の長子が彦四郎で、三男が左衛門太郎(小吉)惟寅勝海舟の父である。したがって、信友と勝海舟は血縁では又従兄弟、系図上では従兄弟の間柄になる。
信友は文化2年(1805年)、8歳のときに本所亀沢町、直心影流剣術12世の団野源之進(真帆斎)に入門して剣術を習い始めた。さらに、平山行蔵兵法を師事、他に宝蔵院流槍術吉田流射術にも熟達した。文政6年(1824年)、団野から的伝を授けられ、麻布狸穴に道場を開く。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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