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町田公二郎 : ミニ英和和英辞書
町田公二郎[まちだ こうじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
: [に]
  1. (num) two 

町田公二郎 : ウィキペディア日本語版
町田公二郎[まちだ こうじろう]

町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手外野手内野手)、野球指導者。より三菱重工広島硬式野球部のヘッドコーチ、からは監督を務めている。
通算20本のセ・リーグ代打本塁打記録保持者(2013年現在)。からまで登録名を町田 康嗣郎としていた。
== 来歴 ==

=== アマチュア時代 ===
2歳上の兄・隆之の影響で野球を始め、同じ明徳義塾高校に進む〔「ヒューマン・ドキュメント 野球浪漫2006 29回 一瞬のキラメキ 町田公二郎 『打つだけでいい、と思ったことは一度もない』」『週刊ベースボール』、2006年8月28日号、P.37〕。2年生の時にヒジを故障し、投手から野手に転向した〔毎日新聞、1991年11月20日付夕刊、P.2〕。3年春の選抜大会では1回戦で三輪隆らを擁する関東一高と対戦し、敗れている。高校卒業後は隆之のいる専修大学に進学し、2年春の東都大学リーグ戦では外野手のレギュラーとして首位打者を獲得し、リーグ優勝に貢献して初のベストナインに選ばれた〔読売新聞、1989年5月27日付朝刊、P.18〕。また、隆之に続くリーグ史上初の兄弟首位打者でもあった〔。同年は日米大学野球の代表にも選ばれている〔全日本大学野球連盟 第18回日米大学野球選手権大会 〕。
3年春もリーグ戦でベストナインを受賞し〔読売新聞、1990年5月24日付朝刊、P.19〕、同年は日米大学野球〔全日本大学野球連盟 第19日米大学野球選手権大会 〕と北京アジア大会〔読売新聞、1990年8月2日付朝刊、P.19〕の日本代表に選ばれている。4年春はリーグ戦でベストナイン〔読売新聞、1991年5月24日付朝刊、P.19〕、同年の日米大学野球では神宮球場で行われる第1、2戦のみの代表にそれぞれ選ばれた。翌年のバルセロナオリンピック代表の候補者としてドラフト対象外となるよう要請があったが、幼少期からの夢だったプロ野球になるべく早く行きたい、としてこれを断っている〔。東都大学リーグでは通算66試合出場、224打数65安打打率.290、15本塁打、39打点の成績を残した。同学年の桧山進次郎をライバルとして、当時のリーグ歴代2位タイにあたる通算15本塁打を放った長打力を評価され〔読売新聞、1991年11月20日付朝刊、P.19〕、1991年のドラフト会議若田部健一を抽選で外した広島東洋カープから1位指名を受けた。当時の球団史上最高額となる契約金8,000万円、年俸840万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる〔読売新聞、1991年12月5日付朝刊、P.19〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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