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畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年2月12日 - 2012年5月24日)は、日本のバリトン歌手・合唱指揮者・音楽評論家・作曲家、日本芸術院会員。 ==経歴== 福岡県門司市(現・北九州市門司区)生まれ。東京音楽学校声楽科卒、同研究科修了。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハーペーニヒ(Hermann Wucherpfennig)に師事。オペラではモーツァルト歌手として活躍、「魔笛」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」などの日本初演で主役を歌った。またドイツ歌曲・日本歌曲でも業績が多い。ヒュッシュ、タリアヴィーニとの共演経験もある。 音楽評論の分野では『レコード芸術』(音楽之友社)などで活躍。音楽教育にも力を注ぎ、『日本名歌低声用50曲集』(カワイ楽譜)「イタリア歌曲集」(全音楽譜出版社)などの歌曲集の編纂、監修に携わった。合唱の分野では福永陽一郎とともに東京コラリアーズを設立したほか、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の専任指揮者を務めている。二期会創設者の一人。 詩作にも手を染め、詩集『超える影に』を出版している。彼の詩は歌曲のテキストとして幾人かの作曲家に用いられており、中田喜直「四季の歌」、三善晃「超える影に」や大中恩「四つの諷刺的な歌」が生まれている。 東京芸術大学名誉教授、初代新国立劇場芸術監督、藤沢市民会館文化担当参与、水戸芸術館音楽部門芸術総監督、1985年紫綬褒章受章、1990年毎日芸術賞特別賞受賞、1994年勲三等旭日中綬章受章、1997年モービル音楽賞、1999年神奈川文化賞受賞、2000年文化功労者、2006年恩賜賞・日本芸術院賞受賞、2007年著書『オペラ歌手誕生物語』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2008年日本芸術院会員。 2012年5月24日、間質性肺炎のため死去。90歳没。没日付をもって正四位に叙せられるとともに旭日重光章が追贈された〔官報本紙平成24年6月29日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畑中良輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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