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留多加町(るうたかちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。 町名の読みは公式にはるうたかであるが、しばしばるたかとも呼ばれていた。 留多加という地名は、アイヌ語の「ル・オタカ」(砂浜に道が付いている所、浜路)、「ル・オ・タ・カ」(熊の足跡がごちゃごちゃある所)による〔南樺太:概要・地名解・史実 p.254〕。 当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦がサハリン州アニワ (, Aniwa)などとして実効支配している。 == 概要 == * 亜庭湾と留多加川(リュトガ川)に面していた。 * 樺太ではめずらしく製紙工場を背景としない町であった。他に製紙工場を背景としない町に本斗町がある。 * 樺太有数の肥沃な土地であり、農耕適地が多かったことでも知られる。 * 1807年、 ロシア海軍士官らが択捉島、礼文島などとともに留多加を襲撃する。警備のため幕府が秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩などに蝦夷地への出兵を命じる。 * 1886年、ロシア人がリュトガ (露:) 村を建設する。 * 1905年、ポーツマス条約により、南樺太の一部として日本に割譲され、「留多加」と改称された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「留多加町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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