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留萌駅(るもいえき)は、北海道留萌市船場町2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。 北海道北部の西海岸の中心都市・留萌市の中心駅。かつては日本国有鉄道(国鉄)羽幌線や天塩炭砿鉄道線、留萠鉄道臨港線の分岐駅であった。 == 歴史 == * 1910年(明治43年)11月23日 - 鉄道院留萠線の留萠駅(一般駅)として開業。留萠機関庫設置〔『北海道鉄道百年史 下巻』1981年(昭和56年)3月 日本国有鉄道北海道総局発行、第5編資料/1年表。〕。 * 1912年(明治45年)4月6日 - 留萠機関庫が旭川機関庫の分庫となる〔。 * 1917年(大正6年)6月1日 - 旭川機関庫留萠分庫廃止〔。 * 1921年(大正10年)11月5日 - 留萠線が増毛駅まで開通。 * 1927年(昭和2年)10月25日 - 留萠線の支線(後の羽幌線)が大椴駅まで開通。当時は東留萠信号場から分岐していた。 * 1930年(昭和5年)12月1日 - 留萠鉄道臨港線が西留萠駅まで開通。 * 1932年(昭和7年) * - 留萌港南岸及び北岸にそれぞれ貯炭場と陸上高架桟橋が設置される。また南岸に船積み用ローダーが設置される。それぞれの貯炭場に臨港線が接続〔『新留萌市史』2003年(平成15年)3月 留萌市発行、P710。〕。 * 12月1日 - 臨港線が北留萠駅まで開通。 * 1933年(昭和8年)12月20日 - 深川機関庫留萠分庫設置〔。 * 1934年(昭和9年)9月30日 - 臨港線が仮古丹浜駅まで開通。 * 1941年(昭和16年) * 10月1日 - 留萠鉄道臨港線が国有化され、当駅の構内側線扱いとなる。 * 12月9日 - 構内配線改良完成、羽幌線が大和田寄りの東留萠信号場から分岐していたものを構内分岐に変更(東留萠信号場は廃止)。同時に羽幌線用の4・5番ホームを新設。 * 12月18日 - 天塩鉄道線(後の天塩炭砿鉄道線)が開通。 * 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 * 1960年(昭和35年) - 北岸の貯炭場に船積み用ローダーが設置される〔『新留萌市史』 P719。〕。 * 1966年(昭和41年) - 南岸の貯炭場に船積み用ローダーとトランスポーターが設置される〔。 * 1967年(昭和42年) * 7月31日 - 天塩炭砿鉄道線廃止。 * - 駅舎改築、現在の建物になる。 * 1969年(昭和44年) - 留萌港湾塩見地区に石油配分基地開設〔、羽幌線より分岐する専用線敷設運用開始〔全国専用線一覧 昭和45年、58年版にてモービル石油・共同石油共有線 作業距離0.5km 総延長0.9km〕。 * 1970年(昭和45年)3月1日 - 補助コンテナ基地設置〔『旭川・鉄道八十八年の歩み』1987年(昭和62年)3月 日本国有鉄道旭川鉄道管理局発行。〕。 * 1987年(昭和62年) * 3月30日 - 国鉄羽幌線廃止〔“羽幌線にもお別れ列車 60年の歴史閉じる”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1987年3月30日)〕。 * 4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)と日本貨物鉄道(JR貨物)が継承。 * 1997年(平成9年)4月1日 - 留萌駅に改称〔“<こだま>「留萠駅」から「留萌駅」に”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年2月21日)〕。 * 1999年(平成11年)3月31日 - JR貨物の駅が廃止。 * 2004年(平成16年) * - 窓口営業時間短縮。 * 10月24日 - 駅舎の2階にコミュニティ放送局「エフエムもえる」が開局〔“24日開局へ大詰め「エフエムもえる」 初日はノロッコ号中継 機材操作「OK」30日は特別番組”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年10月21日)〕。 * 2008年(平成20年)10月1日 - キヨスク閉店。 * 2010年(平成22年)4月1日 - 列車の発着メロディーとして「夕日」を使用開始〔“こだま”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年4月2日)〕。 * 2016年(平成28年)度 - 当駅~増毛駅間の廃止が予定され、終着駅になる予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「留萌駅」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rumoi Station 」があります。 スポンサード リンク
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