翻訳と辞書
Words near each other
・ 畠山政国
・ 畠山政国 (二本松)
・ 畠山政国 (総州家)
・ 畠山政尚
・ 畠山政繁
・ 畠山政長
・ 畠山政頼
・ 畠山昌人
・ 畠山明子
・ 畠山春王丸
畠山昭高
・ 畠山時国
・ 畠山景広
・ 畠山智之
・ 畠山智妃
・ 畠山智行
・ 畠山正恒
・ 畠山武道
・ 畠山氏
・ 畠山氏 (平姓)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

畠山昭高 : ミニ英和和英辞書
畠山昭高[はたけやま あきたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はたけ]
 【名詞】 1. plowed (cultivated) field (ploughed) 2. kitchen garden 3. plantation
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

畠山昭高 : ウィキペディア日本語版
畠山昭高[はたけやま あきたか]
畠山 昭高(はたけやま あきたか、天文3年(1534年)- 元亀4年6月25日1573年7月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名河内下半国及び紀伊守護。畠山政国の三男で高政政尚の弟。初名は政頼(まさより)、秋高(あきたか)。官位は左衛門督
== 生涯 ==
兄・高政を補佐して三好長慶と争う。後に高政から家督を譲られ当主となったと目されており、足利義秋(のち足利義昭に改名)の一字を貰いうけ秋高と名乗った。なお、後に将軍になった義昭から「昭」の字の偏諱を重ねて与えられ昭高と改名したといわれるが、疑義が呈されている。
13代将軍・足利義輝相伴衆として近侍していたが、永禄の変において義輝が殺害されると、弟の義秋がいる近江国の矢島御所に仕えた。矢島御所においては高政の重臣である安見宗房と共に義秋の将軍就任に尽力した。
永禄11年(1568年)に足利義昭が織田信長と共に尾張国から上洛してくると、河内国の高政もこれを支持する。高政は幕府を再興した義昭と信長に河内半国守護を認められた。しかし翌年、兄が重臣の遊佐信教によって紀伊に追放されると、新当主として擁立される。
元亀2年(1571年)には、河内の上半国の守護に任じられていた三好義継が反乱を起こし松永久秀と共に河内の畠山方の諸城を攻撃すると、宗房と共にこれに抵抗する。しかし遊佐信教が三好氏と同調する気配を見せたため、昭高は信長の妹を妻とし、織田氏の援軍を得て信教を倒そうとした。元亀3年(1572年)閏1月4日には、信教による昭高暗殺未遂が発生した(『多聞院日記』)。しかし、天正元年(1573年)、足利義昭と信長の対立が激化すると義昭方に付いたため(『顕如上人御書札案留』)、信長の後ろ盾を失い信教に殺された。信教は昭高の死後復帰を図った高政を退けるも、昭高の義兄である信長によって滅ぼされた(高屋城の戦い)。
その後、河内は信長の家臣である佐久間信盛の統治下におかれ、畠山氏の旧臣の多くも信盛の指揮下におさまり、紀伊国において命脈を保つのみとなる。しかし畠山氏の家督は甥の畠山貞政に継承され、江戸時代にも高家として存続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「畠山昭高」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.