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畠山 泰国(はたけやま やすくに)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。足利氏の一門畠山氏。足利義純の三男。 母が北条時政の娘で畠山重忠未亡人という関係で、1度断絶した畠山氏の名跡を継ぐ(そのため、異母兄達は岩松氏・田中氏を名乗る)。なお、母については異説として重忠と時政の娘との間に生まれた女性というものがある。この場合、泰国は重忠の外孫であると同時に時政の曾孫となる。源姓畠山氏の2代当主とされているが、初めて畠山姓を名乗ったのは泰国であるため、実際は初代当主といえる。 諱の「泰」の字は、従兄弟(同じく時政の孫〔前述の通り、泰国は時政の曾孫との説もある。〕)にあたる北条泰時から偏諱を受けたものである〔小川、1980年、P.624 および『二本松・通1』P.288-289。「国」の字は祖先の源義国に由来するものとみられ、兄の時兼・時朝や嫡男・時国の「時」の字も北条氏からその通字を与えられたものと考えられる。尚、一部の系図では泰時の娘を妻に迎えたとされており、「泰」の字は室町時代に入って二本松満泰の命名の際にも用いられ、続いて持泰、政泰にも通字として継承されたようである(『二本松・通1』P.288-289)。〕。北条氏の縁者でもあったため鎌倉幕府から厚遇され、美濃にも所領を持ち、子の義生(よしなり?)が分家して美濃畠山氏となった。義生の系統は後に日向に移り日向畠山氏となる。泰国は建長年間に子の国氏(=時国?〔)と共に幕府に出仕した記録があり、この頃までの生存は確認できる。泰国の跡は国氏が家督を継承した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畠山泰国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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