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畢 桂芳(ひつ けいほう)は清末民初の政治家・外交官。旗人。清朝、北京政府の政治家で、北方外交を専門としたほか、黒竜江省で都督・督軍などをつとめた。字は植忱、植承。 == 事跡 == 北京同文館を卒業後にロシアに留学した。帰国後は、駐ロシア公使館随員、直隷知州、北洋洋務局随弁、東三省議約随員、駐ウラジオストク(浦塩)弁理交渉商務員、ホブド(科布多)弁事大臣を歴任した。 1912年(民国元年)5月、駐タルバガタイ(塔爾巴哈台)参賛に任命された。1913年(民国2年)7月、護理黒竜江都督兼民政長に任命されている。同年10月、総統府高等外交顧問として召還された。1915年(民国4年)9月、正藍旗蒙古都統。 1916年(民国5年)5月、署鎮安右将軍となる。翌月、黒竜江将軍兼巡按使(翌月に将軍は督軍と改称)に任命された。しかし1917年(民国6年)7月、奉天派軍人の許蘭洲から軍事的圧力を受けて下野に追い込まれた。 1918年(民国7年)9月、安福国会で参議院議員に任じられる。後に、大総統府高等軍事顧問に任命された。1927年(民国16年)、顧維鈞、潘復の両内閣で賑務督弁を務めた。 以後、畢桂芳の行方は不詳である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畢桂芳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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