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家本 政明(いえもと まさあき、1973年6月2日 - )もしくは當麻 政明(TOMA Masaaki)は、広島県福山市出身のサッカー審判員。 日本国内では家本政明で登録されているが〔2011 Jリーグ担当主審/副審リスト 〕、国際審判員としては當麻政明(TOMA Masaaki)で国際サッカー連盟(FIFA)に登録されている。〔Referee List Japan - Men's Referees List 〕 == 来歴 == 福山市立瀬戸小学校および福山市立済美中学校時代の1年後輩に上村健一がいる。福山葦陽高校時代はDFとしてプレイし、広島県選抜にも選出された。だが、同志社大学入学後に病気のためサッカー選手を断念。一転して審判員を目指す。 同志社大学経済学部卒業後の1996年、Jリーグ・京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)を運営する株式会社京都パープルサンガに入社。同年に1級審判員を全国最年少で取得。 2002年からはJ2リーグで主審、2004年以降はJ1リーグでも主審を務める。但し、京都パープルサンガの職員であったため、京都サンガ絡みの試合で審判を務めることは出来ない。2005年には国際主審に登録され、同年からは日本サッカー協会(JFA)のスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)として活動している。 しかし、判定やピッチ上での行動に対して批判が相次ぎ(詳細は後述)、「一貫性を持ったレフェリングが出来ていない」という理由でJFAから2006年9月12日付けで異例の1ヶ月間の研修(出場停止)を命じられた。研修ののち、1ヶ月間香港で審判を務めた。結局、この年は再び国内で笛を吹くことはなかった。 2006年10月23日、JFA審判委員会が国際サッカー連盟(FIFA)に申請した2007年国際審判員の候補者28名のうち、7名いる国際主審に名を連ねたが、「研修を行っている人物を国際主審の候補に挙げた」として、この選出にサポーターの間では議論が飛び交った。 2007年1月2日、全国高等学校サッカー選手権大会2回戦の野洲 - 真岡戦において主審を務め、国内での審判業に復帰した。2007年シーズンはJ1・J2ともに主審として復帰している。平均カード提示数はJリーグ全主審より多いものの、前年よりは減少している。(「主審記録」を参照) 2008年3月、ゼロックス・スーパーカップでの判定を巡る騒動(後述)により、Jリーグ公式戦の無期限担当割り当て停止(2度目の出場停止処分)を受けた。その間も国際主審としての活動はこれまで通り行っており、AFCチャンピオンズリーグ・AFCカップで笛を吹いた。また国内ではJサテライトリーグや各クラブの練習試合を担当していたが、6月15日のJ2第20節、愛媛FC-水戸ホーリーホック戦でJリーグ公式戦の主審に復帰している。さらに、7月12日のJ1第16節、大宮アルディージャ - ジュビロ磐田戦からはJ1リーグ戦の主審も再び担当している。 2010年5月24日、サッカーの聖地とも称されるウェンブリー・スタジアムにおいて、国際親善試合イングランド代表 - メキシコ代表戦で日本人初の主審を務める(副審に大塚晴弘・名木利幸)。 また、2011年1月1日の天皇杯決勝戦や、同年12月3日のJ1第34節(清水-G大阪〔G大阪にリーグ戦優勝の可能性が残された試合だった〕)においても主審を務めるなど、徐々に大舞台での大役も任されるようになっている。また、同年10月30日から審判員交流研修プログラムの一環としてイングランドへ派遣され、FAカップ1回戦のブレントフォードFC対ベイシンストーク・タウンFC戦の主審を務めた。FAカップでイングランドサッカー協会に登録していない審判が主審を務めるのは初めて。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「家本政明」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masaaki Toma 」があります。 スポンサード リンク
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