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『癩王のテラス』(らいおうのてらす)は、三島由紀夫の最後の戯曲。全3幕から成る。三島文学の主題が色濃い最後の演目として重要な作品である〔小埜裕二「癩王のテラス」()〕。病魔に冒されたカンボジアの王・ジャヤーヴァルマン7世が、アンコール・トムを造営しバイヨン寺院を建設してゆく愛と夢の雄大なロマンを、月の王朝の衰亡を背景に描いた物語。王の肉体が崩れ去っていくにしたがって、威容な観世音菩薩が完成していく様を、王の精神と肉体との対比で壮大華麗に表現している〔「わたしがこんどの帝劇でやりたいこと……(「癩王のテラス」広告文)」(朝日新聞夕刊 1969年5月9日号)。〕。 1969年(昭和44年)、雑誌『海』7月創刊号に掲載され、雑誌発売直後の同年6月28日に中央公論社より単行本刊行された〔井上隆史「作品目録」()〕〔山中剛史「著書目録――目次」()〕。舞台初演は同年7月4日に北大路欣也主演により帝国劇場で上演された〔山中剛史「上演作品目録」()〕。文庫版は1975年(昭和50年)8月に中公文庫より刊行されたが出版禁止で絶版となり、現行では2002年(平成14年)12月刊行の『決定版 三島由紀夫全集第25巻・戯曲5』でしか読めない。翻訳版は佐藤紘彰訳(英題:The Terrace of The Leper King)で行われている。 == 作品成立・主題 == 『暁の寺』の執筆取材のために1965年(昭和40年)10月12日にタイのバンコクを訪れた三島は、同月25日からカンボジアへ旅行し、アンコール・ワット、アンコール・トムを見学する〔「年譜 昭和40年10月」()〕。そのアンコール・トムを見た際に『癩王のテラス』の創作の着想を得て、〈熱帯の日の下に黙然と坐してゐる若き癩王の美しい彫像を見たときから、私の心の中で、この戯曲の構想はたちまち成つた〉と三島は述べ〔「あとがき」(『癩王のテラス』中央公論社、1969年6月)。〕、バイヨン寺院を建てた王が〈癩にかかつてゐたといふ伝説が、私の心に触れた〉とし、以下のように語っている〔「『癩王のテラス』について」(毎日新聞夕刊 1969年7月10日号)。〕。 そして三島は、〈もつとも忌はしいものは時として神聖さに結びつき、もつとも悲惨なものは時として高貴と豪奢に結びつく〉という〈後期浪漫派〉の作風を想起し、作品の骨子がその晩のうちに出来たが、巨大な舞台装置の条件(大劇場で「視覚的聴覚的効果」を取り入れる)の諸事情から上演の機会が得られずに4年後に執筆となったと述べ〔〔、〈ミクロコスモスの全体性の実験〉は『サド侯爵夫人』や『わが友ヒットラー』で試みたので、『癩王のテラス』では〈マクロコスモスの全体性〉を実験したとしている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「癩王のテラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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