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白上 佑吉(しらかみ ゆうきち、1884年(明治17年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月24日〔『日本近現代人物履歴事典』272頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・林。 ==経歴== 石川県出身。父、石川県士族・林孜々郎が富山県礪波郡首席書記の時に、同郡出町(現砺波市)で三男として生まれる。その後、父の上司(郡長)で後に山口県警部長となった白上俊一〔人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年、シ109頁。『日本近現代人物履歴事典』272頁では「白上佑一」。〕の養子となる〔〔『新編日本の歴代知事』432頁。〕。第四高等学校を卒業。1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部・第一部警務課勤務となる〔。 1910年12月、警視総監官房文書課審査係長兼高等課外事係長に就任。以後、警視庁警視・新橋警察署長、日比谷警察署長、麹町日比谷警察署長、京都府警視、長野県理事官、富山県警察部長、朝鮮総督府高等警察課長、欧米各国出張(1920年6月)、京畿道警察部長、千葉県内務部長、警視庁官房主事、内務書記官・警保局保安課長、兼内務監察官などを歴任〔。 1924年10月、鳥取県知事に就任。政府の方針に従い整理緊縮を実施するが、教育振興、産業振興、土木事業については配慮を行った〔『新編日本の歴代知事』764頁。〕。1926年9月、富山県知事に転任。電力開発の推進、射水中学校・氷見中学校開設などに尽力〔。1927年5月17日に島根県知事に転任したが、翌日18日に依願免本官となった。一日だけの在任となった理由は不明である〔『新編日本の歴代知事』788頁。〕。同年8月、文部省実業学務局長に就任し1928年6月まで在任し退官〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。〕。 1929年4月から1931年7月まで東京市助役を務めた。在任中に東京瓦斯増資問題で賄賂を受けたとの嫌疑で裁判となり、1934年4月に東京地方裁判所で有罪(懲役10ケ月)となり、その後、大審院で上告が棄却され懲役6ケ月の有罪判決が確定し下獄した〔。 戦後、1951年8月まで公職追放となった〔。その後、恵比寿食糧運送会社会長を務めた〔『朝日新聞』(東京本社発行)1965年1月25日朝刊、11面の訃報より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白上佑吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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