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白井英治(しらい えいじ、1976年10月15日 - )は、山口県美祢市出身の競艇選手。 登録番号3897。身長173cm。血液型O型。80期。山口支部所属。師匠は今村豊。すでにベテランの域に達した今村の後継者として、同支部の寺田祥と共に大きな期待をかけられている。師匠譲りの巧みなハンドル捌きによる鋭角的なターンが得意とし、「関門のホワイトシャーク」の異名を持つ。 == 来歴 == 小学校の頃から父親に競艇場に連れて行かれ、その頃から選手になろうと決意。小・中学時代は野球、高校は空手に打ち込んだ。高校を卒業後、5度目の正直で本栖に合格するまでの約2年間、新聞配達のアルバイトをしながら理工系の専門学校に通っていた(ちなみに1回目の受験は学科で不合格、2回目は減量したところ血圧でひっかかり不合格。3・4回目は身長オーバーで不合格)。1997年デビュー、2003年平和島の周年記念でG1初優勝。その後も記念級レースやSGにも常連として参戦し、幾度も優勝戦に進出するも、惜敗が続いていたことから「無冠の帝王」という不名誉なニックネームが付いてしまっていた。特に2010年の浜名湖第37回笹川賞では準優10Rで新田雄史を2コースから差し切り1着で制したが待機行動違反を取られて賞典除外、優出に失敗するという不運にも泣かされている。この待機行動違反により、その後に行われた準優2Rの結果によって、手に入れるべき優勝戦12Rの1号艇をふいにしてしまう。そして皮肉にも翌日の優勝戦を制したのは、同じ準優10Rを走って3着から繰り上がりで優出に成功した岡崎恭裕であった。2012年度には、年間最高勝率(8.32)をマークし、名実共にトップレーサーとなったが、やはりSGタイトルには縁がなかった。 しかし、2014年8月31日、若松で行われたボートレースメモリアル(MB記念)において、2コースからコンマ00と渾身のタッチスタートを決めると、1コースの谷村一哉をまくり、14回目の優出にして遂に悲願のSG制覇を果たした。予選道中に落水するなどのハンデもあったが、好モーターを活かし、スリットからの速攻で勝負をつけるスタイルで勝ちとった栄冠であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白井英治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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