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白倉氏(しらくらし)は日本の氏族の一つ。児玉党の一族であり、上野国甘楽郡白倉に拠った戦国時代の武士。上州八家の一つで、関東管領山内上杉氏の重鎮として四宿老にも数えられた。 == 概要 == 白倉氏は、児玉党の一族であり、上野国甘楽郡白倉〔甘楽郡上白倉村・下白倉村、北甘楽郡白倉村、新屋村白倉、現・甘楽町大字白倉。白倉神社( )の所在地〕を本領とし、白倉氏を称した。 承久3年(1221年)の承久の乱で討死した白倉成季から白倉氏を称した。 その後、足利氏に従い、山之内上杉氏の家臣となった。 その後、上州八家(小幡氏・白倉氏・安中氏・倉賀野氏・桐生氏・由良氏・山上氏・沼田氏)の一つに数えられ、白倉重佐(五左衛門)の代には関東管領上杉憲政のもと、四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)の一人に数えられた〔『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年〕。 重佐の子・白倉道佐の代には、上杉謙信に仕え〔『関東幕注文』下野足利衆の長尾同心として小幡道佐として名が記されている。〕、上杉謙信が鎌倉で関東管領就任の儀式をしたさい、側近として付き添った〔『甲陽軍鑑』〕。しかし武田信玄が箕輪城の上野長野氏を攻めるとこれを支えきれず、永禄6年(1563年)武田氏に降った〔 『箕輪城と長野氏 (中世武士選書)』近藤義雄、戎光祥出版、2011年〕。 天正9年(1581年)武田氏が滅亡すると、道佐の子・白倉重家は織田家の重臣滝川一益に降り、天正10年(1582年)6月の神流川の戦いでは、滝川方に付いて戦った〔上毛古戦記〕。合戦に敗れた滝川一益が伊勢に逃げ帰ると北条氏直に降った。 天正18年(1590年)小田原征伐では、白倉城〔甘楽町の歴史をたどる 麻場城(白倉城) 〕に弟・重高を置いて守らせ、白倉重家は小田原城に籠城した〔上州古城塁記〕。北条氏が滅亡すると、白倉氏も所領を失い没落した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白倉氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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