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白倉道佐(しらくら みちすけ、生年不詳 - 天正8年3月17日(1580年4月1日))は戦国時代の武将。上野白倉城主。白倉氏。父は白倉重佐。通称、左衛門尉、民部。子に白倉重家、白倉重治。 ==生涯== 白倉氏は上州八家の一つであり、代々山内上杉氏に仕え、先代・重佐の頃には関東管領・上杉憲政のもと、四宿老の一人に数えられていた〔『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年〕。 白倉道佐は、上杉憲政、上杉謙信に仕え〔『関東幕注文』下野足利衆の長尾同心として小幡道佐として名が記されている。〕、上杉謙信が鎌倉で関東管領就任の儀式をしたさい、側近として付き添った〔『甲陽軍鑑』〕。 しかし武田信玄が箕輪城の上野長野氏を攻めると城を支えきれず、永禄6年(1563年)信玄に降った〔『箕輪城と長野氏 (中世武士選書)』近藤義雄、戎光祥出版、2011年〕。その後は、内藤相備え組衆として高山氏、多比良氏、木部氏、あまお氏、倉賀野氏、後閑氏、長根氏と共に内藤昌秀及び内藤昌月に配された。 天正8年(1580年)3月17日、後北条氏との戦いにより戦死した。法名は、白倉院殿天漢道佐大居士。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白倉道佐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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