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白倉重家 : ミニ英和和英辞書
白倉重家[しらくら しげいえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

白倉重家 : ウィキペディア日本語版
白倉重家[しらくら しげいえ]
白倉 重家(しらくら しげいえ、(生没年不詳))は戦国時代の武将。上野白倉城主。白倉氏。父は白倉道佐。通称、源太郎、源左衛門尉、掃部助、宗任。弟に、白倉重治
== 生涯 ==
白倉氏は上州八家の一つであり、代々山内上杉氏に仕え、祖父・白倉重佐の頃には関東管領上杉憲政のもと、四宿老の一人に数えられていた〔『講談社日本人名大辞典』 講談社、2001年〕。
父の白倉道佐は、上杉憲政、上杉謙信武田信玄武田勝頼に仕え、内藤相備え組衆として高山氏、多比良氏、木部氏、あまお氏、倉賀野氏、後閑氏、長根氏と共に箕輪城代の内藤昌秀、及び、内藤昌月に配されたが、天正8年(1580年)3月17日、後北条氏との戦いにより戦死した。
跡を継いだ白倉重家は父・道佐と同様に武田勝頼に仕え、内藤昌月のもと武田氏の上野侵攻を担ったが、 天正10年(1582年)3月11日、織田氏甲州征伐により武田家が滅亡してしまう。
同年3月23日、織田家の重臣滝川一益が東信の佐久・小県二郡と上野一国を与えられると、白倉重家も他の上野国衆と同様に一益に降った。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変により織田信長が横死すると、相模の北条氏直が上野に侵攻を開始する。
白倉重家は、同月18日から19日に行われた神流川の戦いにおいて、滝川一益方として戦い敗れている〔『上毛古戦記』〕。
神流川の戦いの後は北条氏直に降った。
天正18年(1590年小田原征伐では、白倉城に弟・重高を置いて守らせ自らは小田原城に籠城した〔『上州古城塁記』〕。
後北条氏が滅亡すると、白倉氏も所領を失い没落した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白倉重家」の詳細全文を読む




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