|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 白 : [しろ] 【名詞】 1. white ・ 白光 : [はっこう] 【名詞】 1. white light 2. corona ・ 光 : [ひかり] 【名詞】 1. light ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
五井 昌久(ごい まさひさ、1916年(大正5年)11月22日 - 1980年(昭和55年)8月17日)は、日本の宗教家。宗教法人白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の開祖。祈りによる世界平和運動を提唱した。 == 経歴 == 東京の浅草(現東京都台東区千束)に8人兄弟の4男として生まれる。音楽家をめざし、苦学して音楽の勉強をする。また詩作にも励み、高村光太郎や竹内てるよにも教えを受けた。 1940年(昭和15年)、日立製作所の亀有工場に入社。文化活動の中心者として、学徒動員された青少年の心を癒そうとつとめた。 大戦終了後、日本のため、人類のために自分の命を捧げたいとの想いが湧き、宗教心が芽生える。岡田茂吉の霊線療法に興味を持ち、岡田の弟子に講習を受け病人の治療を開始する。また、生長の家の谷口雅春の教えに感銘を受け弟子になる。生長の家の講師として活動を開始するが、後には生長の家から離れることになる。 1949年(昭和24年)、厳しい修行の後、空の境地(悟り、正覚)を体得したとする。 1950年(昭和25年)7月、結婚。子供はもうけなかった。 1955年(昭和30年)2月、千葉県市川市に宗教法人「五井先生鑽仰会」を設立(なお、もともと「五井先生鑽仰会」は、五井を師と仰ぐ人々によって結成されたものである)。のちに「白光真宏会」と改称。 当初の活動は、人生指導や病気治療を主とした活動であったが、その根底にある思想は、人々の心が平和になることによる大調和世界(完全平和世界、地上天国)の実現であったとする。 1980年(昭和55年)8月死去。その活動は白光真宏会2代目会長・西園寺昌美(1971年に五井の養女に)に受け継がれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五井昌久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|