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白幡八幡神社(しらはたはちまんじんじゃ)は、千葉県山武市白幡(上総国山辺郡)にある八幡神社。旧社格は村社。誉田別尊、天照大神、天児屋根命を祀る。 == 概要 == 寛和元年(985年)に大和国の僧妙香がこの地を訪れ、阿弥陀如来像を奉納し如来寺(現在の般若院)を創建した際、山城国の石清水八幡宮より御神影を勧請し、寺の隣地に鎮守神として建立したのが当社の起こりであるという。 治承4年(1180年)石橋山の戦いに敗れ房総に逃れた源頼朝が、その後鎌倉を目指した際に参拝し〔河内源氏の祖源頼信が壺井八幡宮を氏神とし、八幡太郎義家が元服したこともあり、石清水八幡宮は頼朝に崇敬されていた。この後、建久2年(1191年)に頼朝により鶴岡八幡宮に勧請され、以来源氏の守り神になった。〕、白旗と15本の矢を献じて源氏の再興と武運長久を祈願したといわれ〔千葉常胤の孫の成胤が、千葉荘に侵入した藤原親政を生虜にするという快挙を成し遂げ、様子見していた上総広常も参陣し、その後すべての戦いに勝利した。〕、それ以来白旗を掲げるのが習しとなり白幡八幡と称したという。頼朝は大願成就の後文治元年(1185年)に社殿と神宝を寄進し、建久3年(1192年)に将兵300騎を従えてお礼参りに訪れた。その際、頼朝に従った将兵の接待にあげ飯が出され、あげ飯の行事は現在も旧暦の9月7日の夜に行われている。また建久7年(1196年)には仕臣4名を派遣し、9月6日から8日にかけて東国鎮護の祭典を行った。 慶長19年(1614年)正月には鷹狩りに訪れた徳川家康が立ち寄り〔当社は千葉県道124号緑海東金線(御成街道)と千葉県道121号成東鳴浜線の交差点である白幡交差点の南に位置している。〕、頼朝の掲げた白旗の旗竿に東金御殿の竹林の竹の寄進を約束し、現在も故事に習って毎年白旗が献ぜられ〔旧暦の9月1日、6日、8日の3日間かけて行われる御旗織行事で織られた白旗が献ぜられる。機織に用いられる「いざりばた(居坐機)」は、昭和42年(1967年)に千葉県の有形民俗文化財に指定された。〕、その旗竿には東金御殿の竹林の竹が使われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白幡八幡神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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