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白木屋(しろきや)は、東京都中央区日本橋一丁目に存在した江戸三大呉服店の一つで〔原田伴彦 『日本歴史展望 第8巻 江戸幕府と三百諸侯の支配』 旺文社、1981年10月15日。ISBN 978-4010705285〕、かつ日本の百貨店の先駆的存在の一つである。 かつて日本を代表した百貨店の一つ。法人自体は現在の株式会社東急百貨店として存続しており、1967年(昭和42年)に商号・店名ともに「東急百貨店日本橋店」へと改称した。その後、売れ行き不振のため1999年(平成11年)1月31日に閉店し〔油井宏子 『古文書はこんなに面白い』 柏書房、2005年2月。ISBN 978-4760126767〕、白木屋以来336年の永い歴史に幕を閉じた。跡地にはコレド日本橋が建設されて2004年(平成16年)3月30日に開業した〔“三井不動産、SC「コレド日本橋」オープン、新業態テナントに注目”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年4月14日)〕。 == 概要 == === 材木商から江戸三大呉服店へ === 初代大村彦太郎可全が慶安年間に〔日本史広辞典編集委員会 『日本史人物辞典』 山川出版社、2000年5月10日。ISBN 978-4634620308〕京都の寺の内に材木商として白木屋を開いたのが始まりである〔『白木屋三百年史』 白木屋、1957年3月18日。〕。 初代大村彦太郎の母方の河崎家は近江の国の材木商であり、その商売を手伝った後、白木屋の屋号をもらって独立して開いたものであったが、独立・開業した直後は白木屋をの名乗っていなかったとされている〔。 また、初代大村彦太郎の父である大村道与も同様に河崎家の支援を受けて京都で「菊屋」の名で材木商を営んでいたとされており、その再興を図る形にもなっていた〔。 この京都の白木屋は材木商の傍らで木綿類や日用品の販売も手掛けており〔、このことが後の呉服店へ繋がることになった。 初代大村彦太郎は江戸の繁華街へ出て商売を行うことに早くから強い意欲を燃やし、1662年10月6日(寛文2年8月24日)に日本橋通り2丁目に間口一間半の小間物商としての白木屋を開いた〔。 開店から3年後の寛文5年(1665年)に当時の一等地であった日本橋通り1丁目に移転し、近隣を買収しながら徐々に店舗の拡張を進めていった〔。 また、寛文8年(1668年)には羽二重地の販売を始め、延宝6年(1678年)には縮緬・毛氈・紗・綾等の販売も手掛けるようになり、延宝7年(1679年)に晒木綿、天和元年(1681年)に木綿羽織地に着尺麻と徐々に取り扱い品目を拡張して呉服太物商の仲間入りを果たした〔。 その後、貞享元年(1684年)には店を拡張したほか〔、貞享3年(1686年)には高級品とされていた郡内縞を売り出し〔、宝永元年(1704年)には贅沢品の毛織物を含めた一般呉服物を売出すなど江戸の町人文化の開花に合わせて販売品目を広げ〔、越後屋(現・三越)や大丸屋(現・大丸)と並んで江戸三大呉服店の一つに数えられる大店に成長した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白木屋 (デパート)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shirokiya 」があります。 スポンサード リンク
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