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白樺派 : ミニ英和和英辞書
白樺派[しらかばは]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
白樺 : [しらかんば]
 (n) white birch
: [かば]
 (n) birch
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

白樺派 : ウィキペディア日本語版
白樺派[しらかばは]
白樺派(しらかばは)は、1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のこと。
==概略==
大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。1910年刊行の雑誌『白樺』を中心として活動した。そのきっかけは1907年10月18日から神奈川県藤沢町鵠沼旅館東屋武者小路実篤志賀直哉が発刊を話し合ったことだと志賀が日記に記している。学習院の学生で顔見知りの十数人が、1908年から月2円を拠出し、雑誌刊行の準備を整えたという。同窓・同年代の作家がまとまって出現したこのような例は、後にも先にも『白樺』以外にない。『白樺』は学習院では「遊惰の徒」がつくった雑誌として、禁書にされた。彼らが例外なく軍人嫌いであったのは、学習院院長であった乃木希典が体現する武士像や明治の精神への反発からである。さらには漢詩や俳諧などの東洋の文芸に関しても雅号・俳号の類を用いなかった。特にロダンセザンヌゴッホゴーギャンら西欧の芸術に対しても目を開き、その影響を受け入れた。また白樺派の作家には私小説的な作品も多い。写実的、生活密着的歌風を特徴とするアララギ派と対比されることもある。
白樺派の主な同人には、作家では有島武郎木下利玄里見弴柳宗悦郡虎彦長與善郎の他、画家では中川一政梅原龍三郎岸田劉生椿貞雄、雑誌『白樺』創刊号の装幀も手がけた美術史家の児島喜久雄らがいる。武者小路は思想的な中心人物であったと考えられている。多くは学習院出身の上流階級に属する作家たちで、幼いころからの知人も多く互いに影響を与えあっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白樺派」の詳細全文を読む




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